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2019年7月22日

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金井氏が主査として2002年に発表した初代「アテンザ」のヒットからマツダの業績は上向き、06年3月期には営業利益が過去最高となった。ここで全社的に10年後の「長期ビジョン」を作ろうということになった。
金井誠太(Seita Kanai)マツダ相談役
1950年広島県生まれ。東京工業大学卒業後、東洋工業(現マツダ)に入社。研究開発のトップとして2006年からはじまる「モノ造り革新」の先導役となる。14年~18年まで会長を務める。金井氏と日経BP社・山中浩之氏の対談本『マツダ 心を燃やす逆転の経営』(19年5月発売)がベストセラーに。

 研究開発チームでは、「投資の心配はするな。まずは、商品と技術の世界でのマツダの2015年を描こう、ロマンを語ろう」と話した。ここで大事にしたことは、手法ではなく「志」。なぜこの仕事をしているのか、何を目指しているのかという部分。そうすると、メンバーから「世界一になりたい」という本音が出てきた。そこで「マツダの全ラインアップが世界のベンチマークになる」というコンセプトが固まった。

 周りから冷やかされたが、実は新しいビジョンを打ち出したのではなく、私自身、本当にやりたいことだった。1980年代前半にドイツでプライドを粉々にされた。自社の「カペラ」で速度無制限のアウトバーンを走ると、アクセルを床まで踏んでもやっと170キロくらいで、音も大きく、車体も揺れる。ところがその後、某ドイツ社のプレミアムカーに乗って同じアウトバーンを走ると、200キロを出しても逆に爽快なくらいだった。このとき「いつか見返してやる」「どうせやるなら世界一になりたい」という気持ちが芽生え、以来それを持ち続けていた。

 ロマンを語り始めると、「どうやったら実現できるのか?」と考えるようになる。そうすると、ネガティブだった人の気持ちにも変化が現れる。最初は「ドリーム、ロマン」。それが「ビジョン」になり、「プラン」になる。「ドリーム」が「ホープ」になり「ウィッシュ」になり「ウィル(意思)」になる、という言い方もできる。それでも、「志が低い」「10年後、本当にそんなものでいいのか?」「自信はあるのか?」と、何度も議論を繰り返した。

 私は、会社がうまくいかない体験をいくつもしてきた。そのなかで「次はこうしよう」という経験を積み上げてきて、自分が開発のトップになったときに、それを実行しようと思った。

 マツダが世界一になると言っても、すべてのカテゴリで世界一になるほどのリソースはない。そこで車種、エンジンの大きさなど戦う土俵を決めた。土俵を決めれば、学んで失敗したことを次に生かすことができる。だが、毎回違う土俵で多点張りをすれば、そこでやったことが使い捨てになってしまう。バブル崩壊前までのマツダはまさにその通りで「誰もやっていないこと、世界初をやってみせろ」と、技術者として嫌ではなかったが、どの方向に向かっての個性なのか、もう少しはっきりしてほしいと、感じていた。

 次に世界一というビジョンをどうやって実現するのか。「モノ造り改革」に取り組んだ。リソースの少ないマツダでは、車種ごとに世界一を目指すのではなく、「10年後の水準で世界一を狙える技術を開発し(一括企画)、それを各車種に展開していく(コモンアーキテクチャー)」という発想をした。そんな都合のいいことはできるはずがない、というのが当時フォード側の反応だった。フォードの発想は「コスト低減=部品の共通化」。「クルマのサイズ別にフォードグループ内でプラットホームを共通化する」というものだった。しかし、それでは「個性(商品力)」を保てず、理想である「世界一」を達成することができない。

 二律背反する「個性」と「量産」を綱引きしてバランスをとるのではなく「少量生産だけど、スケールメリットが享受できる」「多様性があって、大量生産並みのコスト低減を実現する」ということにこそ付加価値があると考え、「変種変量生産」を実行した。

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