WEDGE REPORT

2012年3月21日

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雪が降り積もった2月26日に開催された釜石港湾口防波堤災害復旧事業着工式。挨拶に立つ野田武則釜石市長。「ハードの整備に加えて、避難の徹底など、ソフト面の強化も進めていく」などと話した (撮影:編集部)

 ギネスブックにも認定されている岩手県釜石市の巨大「湾口防波堤」の復旧着工式が2月最後の日曜日、釜石港埠頭で催された。約490億円かけて4年後の完成を目指す。野田武則釜石市長は「震災1年を迎える前に着工に移れたことはありがたい。湾口防波堤は、釜石復興の礎となる」と挨拶した。同時に「全国の人たちにも湾口防波堤の意義を理解していただきたい」と、付け加えた。

 昨年12月に釜石市が発表した復興計画にある12の主要施策「スクラムプラン」。最初に挙げられているのが「スクラム1・生命優先の減災まちづくりの推進(多重防御による津波対策の推進)」。この中核が、湾口防波堤だ。

 湾口防波堤は、1978年に建設がスタートし、2009年に完成した。総工費は1200億円。世界最大の水深63メートルで、北堤(990メートル)、南堤(670メートル)から成る。しかし、津波によって完成から2年で倒壊した。震災直後は、防災をハードに頼ることには限界があるという声が高まり、一部の海外メディアからも「white elephant(無用の長物)」と批判された。市長が言葉を加えたのはこのためだ。

防波堤は必要だが復興とは別物

 国土交通省は、防波堤の効果を主張する。(1)津波高の4割低減(2)浸水域を5割低減(3)水位上昇を6分遅延。町の人たちに尋ねてみても、湾口防波堤は「不要」と答える人はいなかった。ただ、湾口防波堤の復旧がそのまま復興につながるという雰囲気はなく、震災前からの課題が影を落としていた。

 2月に店を再開したばかりだという理髪店の店主は「若い人が町から出ていくのは、何年も前から。働く場所が少ないから、親としても“残れ”とは言えない……」と肩を落とした。タクシーの運転手からも「普通科では北高と南高が統合(08年)され、商業と工業も統合(09年)して商工となり、高校が2校に減った」と、聞かされた。「高校卒業生の約半分が市外に出て行く」(釜石市)という。

 釜石市の人口は最盛期の60年代前半には9万人を超えて県内2位だった。それが、震災前の2010年には、4万人を割るところにまで落ち込んだ。 「新日鉄が高炉を休止(89年)する頃には、すでにかなり衰退していた」(製造業者)という。高炉休止とともに、上場企業である機械メーカーSMCを誘致するなど、雇用の確保に努めた。しかし、足元では「製造業の場合、リーマンショック以降、求人は減ったまま」(ハローワーク釜石)という状態で、震災の影響とは関係なく、大きく雇用を創出する余裕はない。

 釜石市のもう一つの基幹産業である水産加工業。釜石流通団地水産加工業協同組合長で、津田商店の津田保之社長は「水産加工業は、女性を中心に地元の雇用の下支えとなっているが、若者が積極的に就きたがる仕事ではない」と話す。また、事業環境についても、中国との価格競争が激化しているため、「楽観できる状況にはない」。

日本の地方都市に共通する課題

 産業振興や雇用創出に向けた取り組みについての項目は、12のスクラムプランの中で5つにものぼる。

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