たかが学部の名称と言われるかもしれないが、先ず一流大学で正式に「エネルギー学部」というようなものができないと、現状の抜本的な改革、改善は難しい気がする。大学レベルで「エネルギー学部」ができ、それが定着すれば、当然入試にもエネルギー関係の問題が出るようになるから、一気に高校、中学レベルまで変わるだろう。下からよりも上からの改革の方が手っ取り早いし、確実だ。
理科・文科の垣根を越えて
私が長年提唱しているのは「総合エネルギー学部」だ(拙著「日本の核 アジアの核」=朝日新聞刊、1997年=の第7章参照)。日本ではエネルギーと言うと、直ぐ理工学的なイメージがあるが、文系、とくに社会科学的な内容も加味しないと駄目だ。エネルギーは本来きわめて学際的な分野だから、まさに文系・理系一体となった総合エネルギー学部とする必要がある。
私事ながら、今から50年ほど前、私が駆け出しの外交官として、米国のハーバード大学のロースクール(法科大学院)に留学していたころ、隣の建物では、ヘンリー・キッシンジャー氏が講義をしていたので、よく潜り込んで聴講した。まだ講師か助教授の頃で、それほど有名ではなかったが、講義のテーマは「科学技術と外交政策」というようなもので、核兵器、原子力、エネルギー問題などを国際政治の角度から、理科・文科の垣根を越えて、縦横無尽に論じていたのが非常に印象的だった。
私も退官後東京で10数年、大学教授を務めた経験があるが、どうも日本の大学では、昔からの伝統で、文系学部の教授は「自分は理系は苦手だから」と、また理系の教授はその逆で、お互いに避けて通るので、肝心な学際的な部分がすっぽり抜け落ちる。たまに熱心な学生が理系または文系学部に潜り込んで講義を受講しても卒業単位には入らない仕組みになっている。ここを先ず改善しなければならない。
多数の分野の知識が必要とされる
改めて言うまでもなく、現代のエネルギー問題は、まさに学際的な問題で、政治、外交、経済、法律、歴史、宗教、物理、化学、医学等など多数の分野の知識がなければ本当の理解は得られない。
例えば、原子力問題についていえば、福島事故以後、原子炉の安全性とか放射線被曝とか自然エネルギーとか国内レベルの問題点は過剰と思われるほど盛んに議論されているのに、日本のエネルギー資源はどこからどうやって輸入されているか、もし原発がゼロになったら日本のエネルギー・セキュリティーはどうなるか、益々激化する世界のエネルギー資源争奪戦の中で日本はどうやって生き延びていくかなどという国際政治・外交的な視点はほとんど全く忘れられている。資源のない日本が今後原発無しでどうなっていくか、今世界中が注目しているのに、肝心の日本人はあまりにも無関心だ。その方面の情報もあまり提供されていない。
こうした日本国内の状況を抜本的に是正するためにも、是非全国の大学に「総合エネルギー学部」を創ってもらいたい。私はこのことを自分自身の経験を通じて過去40年来一生懸命唱え続けているが(詳しくは前掲書の第7章)、未だに実現していないのは真に残念である。一日も早く実現させてもらいたい。そのためにも何か「エネルギー」に代わる適当な日本語はないだろうか。皆さんのお知恵を拝借したいものだ。
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