World Energy Watch

2012年5月23日

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金子熊夫 (かねこ・くまお)

外交評論家・エネルギー戦略研究会会長

1937年愛知県生まれ。ハーバード大学法科大学院卒。70~80年代に外務省初代原子力課長。89年に退官後、東海大学教授を経て現職。著書に『日本の核・アジアの核』(朝日新聞社)などがある。

 東京電力福島第一発電所の事故は、まさに未曾有の大惨事で、多くの人々に大きな苦痛を与え、また日本の原子力に計り知れないダメージを及ぼしたが、視点を変えて見ると、1つだけプラスの効果があったのではないか。それは、日本人が、否応なしに、原子力問題を含むエネルギー問題について真剣に考える機会を与えたということだ。 

エネルギー問題を
真に理解しようとしなかった日本人

 この事故がなければ、国民の大多数、とくに文科系の人々――筆者もその一人だが――にとっては、シーベルトだの、ベクレル、セシウムだのという言葉は全くちんぷんかんぷんだったはずだ。まして原子炉の複雑な構造やベント、水素爆発、炉心溶融などという専門用語は恐らく初めて耳にしたはずだが、いまや日常会話の一部にさえなっている。あまりにも高い授業料ではあったが、得られた教訓は決して無駄ではないだろう。いや、決して無駄にしてはならない。

 ただ、考えてみると、エネルギー自給率はわずか4%で、「エネルギー資源小国」を自認する割に、今まで日本人は、原子力を含むエネルギー問題を本当に理解しようとしなかったような気がする。福島事故のはるか以前から、特に第一次石油ショック(1973年)以来、エネルギー教育の重要性はやかましく言われてきたものの、一般に日本人のエネルギー問題に関する認識や知識は非常に乏しいと言わざるを得ない。

「エネルギー」を日本語にすると…?

 なぜそうなのか? つらつら考えてみるに、原因の1つは、「エネルギー」という言葉自体が日本人の思考形態の中にしっかり定着していないからではないか。第一、「エネルギー」などというカタカナが未だに使われている。幕末、開国の時代に、我々の祖先は、大変な苦労をして英語などの外来語を日本語化してきたが(「政治」、「経済」、「哲学」などの言葉はすべてその時代に考案されたもの)、ついに「エネルギー」に対応する日本語は発明されなかった。

 ちなみに、同じ漢字国の中国では、エネルギーを「能源」と訳している。中々の名訳だと思うが、「ノーゲン」という発音が、音感にうるさい日本人の嗜好にぴったり来ないので、日本では普及しないだろう。

 カタカナの「エネルギー」のままでいいではないかと言う人もいるが、やはり漢字になっていないとまずい。だいぶ以前、文部省の役人に「なぜ日本の大学には『エネルギー学』とか『エネルギー学部』ができないのか」と尋ねたところ、「明治時代からの慣習で、法学部とか経済学部、工学部というように漢字ではっきり表記できないと学問分野とは認めがたいし、そもそもカタカナ名では座りが悪い、重みがない」という返事だった。昨今では、カタカナ名の学部や学科が珍しくないようだが、万事伝統を重んずる旧帝大などは、一部の大学院を除き、カタカナ名の学部は敬遠する傾向がある。

→次ページ 理科・文科の垣根を越えたキッシンジャー氏の講義

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