故郷のメディアはいま

2012年9月19日

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小田桐 誠 (おだぎり・まこと)

ジャーナリスト

1953年、青森県生まれ。亜細亜大学法学部卒業。出版社勤務を経てフリーのジャーナリストに。2004年7月から4年間、放送専門誌『GALAC』編集長。現在、法政大学と武蔵大学社会学部兼任講師。BPO(放送倫理・番組向上機構)「放送と青少年に関する委員会」委員、NPO法人放送批評懇談会常務理事・選奨事業委員長。近著に『NHK独り勝ちの功罪』(ベスト新書)がある。

 「THE FINAL 新たなる希望」と題した『踊る大捜査線』シリーズの最終回といわれる映画で大ヒットを飛ばすフジテレビ。TBSは旧社屋の再開発による不動産事業が好調を維持している。テレビ東京は、深夜帯を中心に編成しているアニメの国内外への番組販売や海外の放送局・制作会社との共同制作に力を注ぐ――。

 キー局を始めとする各放送局は、バブル崩壊後のこの20年ほど、本業の放送事業以外のいわゆる「放送外収入」の拡充を進めてきた。「放送外」とは言っても、テレビ番組制作のノウハウを生かした映像コンテンツ、具体的には映画・DVD制作や局・番組のキャラクターグッズの制作・販売が主たる事業だ。放送周辺以外では、せいぜい広大な社有地を生かした街の再開発=不動産事業までだろう。

 ところが、建設・不動産事業はもちろん、地元紙(県紙)と連携しての調査・コンサルティング及びメディアミックス事業から、生涯学習=カルチャーセンターの開設、はては車エビ・ヒラメの養殖まで手掛けるローカル局がある。鹿児島市に本拠を構える最先発局でラジオ・テレビ兼営局の南日本放送(MBC)だ。

地域に貢献する新しい事業を

 車エビ養殖への取り組みは、1969年同局の事業多角化=放送外収入の旗艦となるMBC開発株式会社の設立と同時に始まっている。同年は、鹿児島地区に2局目となる鹿児島テレビ放送(KTS)が開局した年だった。

 民放ライバル局の出現に、「広告事業を核にした関連会社を立ち上げて本業を強化しよう」と考えたわけだ。だが、後にMBC開発の社長に就任する局の管理部門部長が「まず鹿児島県自体が活性化しないことには、広告の出稿先も広がらないのではないか。地域に貢献する新しい事業を展開しよう」と意見具申。「獲る漁業から育てる漁業へ」が言われ始め、高度経済成長により庶民の食生活も豊かになりつつあったことから、高級食材の車エビに目を付けたのだった。

 同県隼人町での養殖事業は、温度管理や餌の問題などでトラブルの連続だったが71年11月に東京に初出荷、商品名を「隼人エビ」とした。隼人町に続き奄美大島宇検村(村とMBC開発の共同出資により、86年10月に第三セクター宇検養殖を設立)と川内市の養殖場が相次いで稼働。宇検養殖は、1平米当たり1キロ以上の生産高を実現し、日本一の生産性を誇るまでになった。84年にはヒラメの養殖にも乗り出した。同局関係者は「昨年は東日本大震災があり車エビは贅沢品として敬遠されました。社会状況や世帯収入の動向によって収益が左右されるのは、多かれ少なかれどの産業・事業も同じだと思います」と語っている。

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