2024年12月26日(木)

田部康喜のTV読本

2013年1月16日

 会津の悲劇はなぜ起こったのか。藩主の松平容保は、幕府の京都守護職として朝廷を守った。薩摩と会津藩はいったん手を握って、長州を京都から追いやった。

 朝敵となって、薩長連合軍と戦って敗れた悲劇の物語は、1カ月の籠城の末のことであった。城が落ちたと誤った、少年隊の白虎隊の自決はその悲劇性を後世に語り継がせることになった。

「ならぬことはならぬ」
戊辰戦争を戦った武士たちの魂

 NHK大河ドラマの「八重の桜」の第1回のタイトルは、「ならぬことはならぬ」である。会津藩に語り継がれた教えは、いまも会津の町のあちらこちらに、標識のように書かれている。

 やってはいけないことは、やってはならない。道理にあわないことは、だめなのだ。

 会津出身のわたしは、子どものころから、祖父母や叔父、叔母からそのように言い聞かされてきた。

 わたしの家族や祖先は、会津の武士の家系に連なる者ではない。農民の家系である。

 しかしながら、会津の町にはいまも戊辰戦争を戦った、武士たちの魂は生きている。

南北戦争と戊辰戦争のつながり

 「八重の桜」の第1回(1月6日放映)と、第2回「やむにやまれぬ心」(1月13日)をみた。

 ドラマは、アメリカの南北戦争のシーンから始まる。意表をつく設定である。

 会津出身者は、戊辰戦争で使われた銃が、南北戦争で使用されそれが武器商人によって、戦後に日本に輸出されたものであることを知っている。

 会津城の攻防のシーンに場面は展開する。悲劇の渦中にあって、山本八重役の綾瀬はるかが、そのスペンサー銃を撃つ。

 大河ドラマの過去の作品も含めて、幕末を描いた映画、テレビの作品は、会津の悲劇に向かって進行する。

 その悲劇を知っている故に、戊辰戦争のくだりになると、会津出身者は観ることがつらくなる。


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