2024年5月12日(日)

田部康喜のTV読本

2022年3月16日

 松村さんは農家の生まれだが、農業は初めてである。1Fの進出は、故郷に雇用を生んだ。松村さんは鉄筋工として働いていた。

 ――松村は19歳から鉄筋工になり、スポーツカーを乗り回した。何の責任も感じていなかった――

慣れない農作業から見える被災者としての怒り

 ――自分で食う無農薬で化学肥料を使わないコメを作ることにした。100年前に祖先が入植して耕した田は、無残だった――

 松村さんは、まず田の土起こしをしようとする。そこからは、こぶしよりも大きな石がたくさん出てくる。

 「除染で山の上の石を入れた。バラした石を入れて除染は終わりました」

 石をける姿から、いいようのない怒りが伝わってくる。

 農業の素人の松村さんは、納屋から古い稲作に使われた道具を持ち出した。子どもころに手伝った稲づくりの記憶を頼りにコメづくりに取り組んだ。

 「体で覚えている。宝物だ」

 コメづくりを始めると、県と町の担当職員が現れた。収穫しても「全量検査」つまり、放射性のセシウムがない確認が必要であることをまず告げた。そして、化学肥料のカリウムを入れることを勧める。セシウムが残るのを防ぐ効果があるというのである。

 ――昔のやり方で、田を取り戻したかった。この町は、50年、100年をかけて作った。どうなったら復興なのか――

 松村さんは、県と町の職員にちょっと強い声で話しかける。それは心のなかの思いがでたのだろう。

 「あっという間にぶっこわすなんて、ありえないから」

 ――素人のコメづくり。無茶なこと。本当は自分でもわからない。何が正解なのか――

 2反(約2000平方メートル)の田から、400キログラムのコメが収穫できた。「全量検査」の結果、セシウムはゼロだった。そのコメをまっさきに届けたのは、避難の際に30頭の牛を預かった、半谷信一(はんがい・しんいち、88歳)さんのところだ。半谷さんは代々続く稲作農家でもあった。原発事故によって、やめてしまった。


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