2024年5月20日(月)

スポーツ名著から読む現代史

2022年10月28日

スカウト活動について離れなかった「裏交渉」

 三輪田は、イチローを発掘した功績もあり、97年にスカウト活動を取り仕切る編成部長に就任した。プロ野球界では93年から大学、社会人選手を対象にした「逆指名」の制度を導入し、スカウトの「眼力」以上に「裏交渉」が幅を利かすようになっていた。著者は、当時のドラフトをめぐる暗部を解説し、交渉の裏側を関係者の言葉として生々しく伝えている。

 <日本球界にはドラフト制度の陰で繰り広げられている暗部がある。球界関係者の言葉を借りれば、それは「球界の裏の常識の世界」なのである。「逆指名選手を獲得する資金の1人平均は3億円。つり上げているのは、2、3の球団」といった関係者もいた。優れた選手になると5億円を超える資金がつぎ込まれ、15億円以上のもの裏金が使われたケースもあるという。>

 <裏交渉には当然、人間がからむ。球団と選手の交渉に割って入る「仲介人」であり、監督がその役を買って出ることもある。球団と仲介人の交渉は、ときに選手と家族のあずかり知らないところで行われることもある。>(同書51頁)

 高校生については、日本高野連の強い反対で逆指名は実施せず、95年からは「進路志望調査」を実施し、プロを志望しない選手はドラフトで指名できないことになった。「進学」を理由にプロ側との接触を断り、ドラフトでは意中の球団の指名を受けて入団――という裏技が流行したため、事前に志望調査を行うことにしたのだが、それでも制度を隠れ蓑に、有力な高校生を一本釣りしようと知恵を絞る球団が後を絶たなかった。

 オリックスが98年のドラフトで1位指名する沖縄水産高の新垣の場合も、その疑いが消えなかった。進路希望調査ではプロを排除していないものの、ドラフト会議の3日前にオリックス球団に「指名を遠慮してほしい」という、新垣の父親からの速達が届いていた。

 <これについては、九州地区担当のスカウト、山本公士がこう答えている。「ダイエーのやらせそうなこと。予想していたことです」。最後の編成会議は既定の方針通り新垣を1位指名することで決着した。>(同書42頁)

 新垣サイドにも仲介人がいた。沖縄水産高の監督、栽弘義とも深い関わりを持つ人物である。三輪田は最後までこの男と顔を合わせることはなかった。会ったのは九州地区担当の山本だけだった。<仲介人と会っていた山本から報告がもたらされた。山本は、ダイエーのこれまでの新垣サイドへの食い込みを押し戻し、オリックスとの交渉のテーブルにつけ、入団に至る条件として、1億円の契約金に上乗せする別途金3000万円を提示した。即答はなかったと山本は報告した。>(同書52頁)

幻に終わった新垣との面会

 亡くなる前日の26日は、難航していた交渉に明るい兆しが出てきたとの報告が三輪田から球団にもたらされた。同日昼、三輪田は沖縄水産高で栽と面談し、栽から「明日、(新垣に)会せるから」と言われたという。

 「ようやく交渉の突破口が開けるかもしれない」。三輪田はそう思ったに違いない。初の直接交渉は27日午後6時から那覇市内の新垣の自宅でセットされた。

 同じ26日の夕方、三輪田は新垣と同じ沖縄水産高出身で、ドラフト5位で指名した大学生、徳元敏の両親と兄弟を交えた食事会に参加していた。オリックスからは三輪田と、九州担当の山本が出席した。難航していた新垣との交渉が実現することになり、三輪田は軽やかな気分だったと思われるが、食事会中、三輪田は3回、電話で呼び出される。


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