小型ヨット・エオラス号で太平洋横断に挑戦していた、全盲のセーラー・岩本光弘(ヒロ)さんとニュースキャスターの辛坊治郎さんが、出発6日目の6月21日朝、浸水のため船体放棄に追い込まれた。救命ボートに移乗し、漂流すること11時間。同日18時過ぎ、海上自衛隊の果敢な救難活動により無事救助された。
全盲セーラーがダブルハンド(2人乗り)で太平洋横断を達成すれば世界初、というチャレンジだった。小誌では、2度にわたりインタビュー記事を掲載した(辛坊治郎・比企啓之「50代のリセット」、岩本光弘「見えないことをプラスに」)。
今回の遭難事故と救難活動については、「無謀な冒険」「税金のムダ使い」「24時間テレビの障害者企画」などさまざまな批判が出ている。このプロジェクト「ブラインドセーリング」に関わる人々を半年間みつめてきた一人の人間として、思うところを書きたい。
発端
プロジェクトの責任者、比企啓之さんから話を聞いたのは昨年12月のことだった。
「アメリカに住んでる、ブラインド(全盲)のヒロさんっていう人が、エオラスで太平洋横断したいって言うてるんや。一度はアメリカまで断りにいったんやけど・・・。ヒロの熱い想いを聞くと、どうにも断れなくなってしまって・・・。
どうしたら、みんなに応援してもらえるプロジェクトにできるか。そこで思いついたのが辛坊さん。ヨットの経験があって太平洋横断が夢と言ってた辛坊さんなら、ひょっとすると、ダブルハンドでヒロさんの相方をやってくれるかもしれん・・・。でも、忙しい人やからね。ダメもとで頼んでみようと。たいして面識もないのに、帰国後すぐ連絡とって会いに行ったんや。
そしたら辛坊さんが『それ、面白いですねぇ』って言うから、びっくりしたよ。実は、俺、会社辞めようと思ってるんや。このプロジェクトに専念するわ。できる限り頑張ってみる」
率直に言って驚いた。比企さんは当時、吉本興業グループの主要子会社、よしもとディベロップメンツの社長を務めていた。吉本興業の東京進出を手がけ、同社の急成長を支えてきたキーマンの一人である。50歳にならんとする年齢で、なぜそんなリスクを取るのか。わたしは興味をもった。
聞けば、ヒロさんから話がある前から、会社を辞めようかと思い悩んでいたという。芸人のマネージャー、劇場支配人、新規事業の立ち上げ……ありとあらゆる仕事を経験した比企さんは、後輩たちの仕事を自分の枠にはめて判断している自分に気づき、嫌になっていた。
もう一度裸に戻ろう、そう考えていたときに、ヒロさんの話が舞い込んだ。会社を辞めれば、資金集めは難しくなる。ブラインドのヒロさんのシングルハンド(1人乗り)で太平洋横断となると管制塔機能で億単位の費用がかかる。無理だ。だから、比企さんは断りに行った。しかし、ヒロさんはこう言って翻意を促した。
「僕は吉本の比企さんに頼んだんじゃない。アースマラソンの比企さんに頼んだんだ」