2024年5月20日(月)

脱炭素・脱ロシア時代のエネルギー基礎知識

2023年8月13日

 産業革命を支えたのは、木材との比較では発熱量が大きい、英国が大きな埋蔵量を持っていた石炭でした。

産業革命と石炭、ガスの登場

 世界で初めて実用化された英国のトーマス・ニューコメンが発明した蒸気機関は、1712年炭鉱の排水に用いられました。その後ジェームズ・ワットが改良した蒸気機関が18世紀後半から産業界に導入され、石炭への需要が急増しました。

 蒸気機関を製造するための鉄鋼への需要が増え、鉄鋼生産用の原料である鉄鉱石、石炭への需要がさらに増えました。鉄鋼製品、原料を運搬するため、鉄道、蒸気機関車への需要も発生しました。

 1820年に英国で初めて鉄道が敷かれ、米国、欧州大陸へと広がっていきました。1840年の時点で、英国の鉄道網は2000キロメートル(km)、米国は5000kmになりました。船舶にも蒸気機関が使われるようになり、船体も木製から鉄鋼製に変わりました。

 石炭は家庭用の暖房、調理にも用いられるようになり、石炭化学も登場しました。さらに、石炭を高温乾留することによりガスを作りました。日本でも数十年前まで石炭から都市ガスが製造されていました。

 石炭ガスを利用したガス灯が設置されるようになり、1807年初めてロンドンでガス灯が灯されました。

 ルノワール、オットーなどが1860年ごろより開発した内燃機関も当初は石炭あるいは石炭ガスを利用していました。1885年ベンツが世界初の石油の内燃機関自動車を開発しました。

続く石炭の時代

 産業革命後も石炭は1960年ごろまでほぼ200年間世界の化石燃料の主として存在感を示しました。

 第一次世界大戦、第二次世界大戦を通し、車両、船舶、航空機の燃料として石油が用いられ、軍事的には石油の重要性が認知されますが、世界の石油の供給は限定されました。第二次世界大戦では米国が連合国の供給の大半(70億バレル中60億バレル)を担いました(注2)。

 家庭、産業での主たる燃料、原料は第二次世界大戦後も石炭でした。欧州でも日本でも、戦後復興の柱は石炭と鉄鋼でした。日本では傾斜生産政策が導入され、西欧では欧州石炭鉄鋼共同体が発足しました。

 1950年時点では、日本のエネルギー供給の9割弱は国内で生産される石炭が担っていましたが、欧州でも事情は同じでした。ただ、当時世界のエネルギー消費の約半分を占めていた米国では既に国内に豊富にあった石油、天然ガスの利用が広がっており、世界のエネルギー消費では石炭の比率は小さくなっています(図-2)。

 米国、欧州主要国も日本も国内に炭鉱を持っており、1950年時点の自給率は、日本96%、西欧州88%、米国101%でした。各国ともエネルギー安全保障に関する懸念を持つことはありませんでした(図-3)。


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