私たちの祖先のヒト族が火を起こし使った証拠が残っているのは、79万年前のイスラエルのゲシャー・ベノット・ヤーコブ遺跡です。ヒト族は落雷、火山活動などにより火を知り、火打石、木の摩擦により火を起こすことができるようになったと考えられています。
火をあかりとして利用し、冬には暖房にも使うことができました。火があれば猛獣も寄ってこなかったでしょう。昨年11月に発表された論文によると同遺跡では料理を行った跡も発見されています。
約1万2000年前に、人類が狩猟採取から多くの場所で農耕の生活に移った後には、火に加え、粉をひくため水車、風車の利用が行われ、家畜も農耕に利用されるようになりました。陸上輸送には家畜が、海上輸送には帆船が利用されました。薪、風、水、家畜が主なエネルギー源でごくわずかの石炭が利用されていました。1800年の世界のエネルギー消費の中で石炭は2%を占めるのみでした。
農耕生活に移った紀元前1万年の世界の人口240万人は、西暦零年に1億8000万人、西暦1000年に2億9500万人、西暦1500年に5億人と増えました。エネルギーは持続可能でしたが、この間、一人当たりの所得は伸びることなく厳しい生活を強いられました。
人口と所得を飛躍させた産業革命、支えたのはエネルギー
18世紀末、マルサスは人口論において技術革新の結果所得が増えると人口も増え、結局一人当たりの所得は生存水準に戻ることを指摘しました。人類は長い間マルサスの「貧困の罠」を抜け出すことができませんでした。
長い間変わらなかった所得水準が大きく伸びるようになり、人口も大きく増えるのは産業革命からです。19世紀初頭から僅か200年間余りで、人口はほぼ10倍の80億人になり、平均寿命は2倍以上に伸び、一人当たりの所得は14倍になりました(注1)。
英国の一人当たり国内総生産(GDP)の推移をみると、産業革命前5世紀の間大きな変化はありませんが、産業革命から大きく上昇を始めています(図-1)。
人類の突然と言ってもよい飛躍は、18世紀後半の産業革命での工業化が引き金となった教育、人的資本への投資によりもたらされました。教育を受けた人材がさらなる工業化を進め、好循環が生まれました。