第一次世界大戦前に中東で石油が見つかり、欧州諸国は油田の権益を獲得した欧米系の石油会社から石油の調達を開始しました。20年代石油の生産は大きく増え、メキシコ、ベネズエラ、イラン、インドネシアなどで欧米系の石油会社が生産を行いました。
石油が第二次世界大戦後大きく増加したエネルギー需要を満たし、石油の貿易量は急増しますが、その供給の中心は中東諸国になっていきます(図-7)。
石炭との競争もあった石油の価格は安く維持され、経済成長を大いに助けたが、石油が安価で供給されることに不満を持った産油国、ベネズエラ、サウジアラビアなどの中東諸国は、60年に話し合いの場として石油輸出国機構(OPEC)を結成しました。
しかし、セブンシスターズと呼ばれたエクソン、BPなどのメジャー7社の圧倒的な支配力に変わりはなく、73年の第一次オイルショック前、世界の輸出の約8割を握っていました(注3)。
第一次オイルショックが引き起こした脱石油
73年の時点で、日本は一次エネルギー供給の4分の3以上を石油に依存していました。世界のエネルギー貿易の9割も石油が占めていました(図-8)。
第二次世界大戦前、日本は石油の調達に苦しめられましたが、73年時点では安価な石油が中東から潤沢に供給され、危機感は薄かったです。しかし、68年に結成されたアラブ石油輸出国機構(OAPEC)が状況を一変させます。
73年10月6日、イスラエルとエジプト・シリア間で第4次中東戦争が勃発しました。シリアとエジプトへの支持を表明したOAPECは、出荷量の削減と米国とオランダへの禁輸を発表しました。
価格決定権もメジャーから産油国に移り、価格も約4倍に跳ね上がりました。石油依存を深めていた日本を含む主要国は、エネルギー供給の多様化を開始しました。
エネルギーと地域の分散が始まり、石炭、天然ガス、原子力の利用が進みました。石油はエネルギーの王者の地位を降りましたが、依然して世界のエネルギーの約3割を供給しています(図-9)。
第一次オイルショックが、天然ガスへの需要を増やし、結果としてロシアを世界一のエネルギー輸出国に押し上げました。50年経ってウクライナ侵略と欧州エネルギー危機に結び付くことにもなったともいえます。
オイルショックにより、太陽光、風力などの再生可能エネルギーと原子力発電も注目を浴びました。
原子力発電はフランス、日本などで導入が進み、原子力ルネサンスと呼ばれる時代になりますが、福島第一原発の事故により先進国では導入のスピードは落ちていきます。欧州エネルギー危機により、脱原発を掲げたイタリア、ベルギーなどで再度注目を浴びています。
再エネ設備の導入が本格化するまでには、オイルショック後30年必要でした。コストの引き下げに時間がかかりましたが、国内で大きな市場を作り設備製造を進めた中国が、世界市場で大きなシェアを持つことになりました。
オイルショック以降50年間のエネルギー供給と消費の変遷とその影響についても、これから触れていきます。
注1:オデッド・ガロ―「格差の起源」(NHK出版)
注2:ダニエル・ヤーギン「探求エネルギーの世紀」上下(日本経済新聞社)
注3:ジャン=マリー・シュヴァリエ「世界エネルギー市場」(作品社)