2024年5月17日(金)

オトナの教養 週末の一冊

2023年8月26日

“もの”によって海の村々が豊かに

 村を動かした別の要素は、民具である。

 戦後の瀬戸内海の漁村はどこも一本釣りが盛んだった。これは江戸時代末に、河波・堂浦(徳島県鳴門市瀬戸町)の漁師が、中国では、日本で主に薬の梱包に使う蚕糸のテグスを釣り糸に使っていると知り導入。瀬戸内海の村で釣り糸として売り歩き、各地に一本釣り漁業や生魚運搬船が根付いたためだった。

「つまり、テグスという民具、“もの”によって海の村々が豊かになった?」

「そうです。柳田や折口は、民俗伝承や古代文学を通じて日本の農耕民の心情の原形に迫ろうとした。“こころ”のアプローチと言えますが、宮本はそれに飽き足らず、民具の変化、“もの”の推移から、農耕民だけでなく漁民の生活誌をも探ろうとしました」

 宮本の故郷・周防大島は半農半漁の島。宮本は年少の頃から、農作業と同時に釣り具の扱いや操船にも精通していたのである。

日本社会は一つでない

「宮本はまた、日本社会が一つでないとも指摘していますね? 東日本は家父長制が強く、上下関係が厳格。けれども西日本は、年齢別の横のつながりがあり上下の関係は緩やかだった?」

 西日本の子供組、若者組、娘組(地域により若衆、中老、年寄の区分も)は年齢階梯制と呼ばれる。一定の年齢集団が年中行事や祭礼などで共同体の重要な役割を果たし、長期にわたって親密な人間関係を保つのだ。その分、家父長制は薄くなり、女性の裁量権も拡大する。

「嫁入り前に世間を知るため、女性が女中奉公などするのは西日本では一般的です。決断は、母親に知らせても父親には知らせないことも(笑)。稼いだ金は彼女自身の資産、服なども自由に買える。年を取っても、苧(からむし)の織物などでヘソクリを作り、それを娘や孫にこっそり渡し、祖父には真似のできない勢力圏を祖母が築くことができる(笑)」


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