『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民が作る』(畑中章宏、講談社現代新書)は、「今こそ読まれるべき思想家」を集めた講談社の現代新書100(ハンドレッド)シリーズの一冊である。
著者の畑中さんは『天災と日本人』(ちくま新書)、『21世紀の民俗学』(角川学芸出版)などの著作で知られる民俗学者だが、なぜこの時代に、「読まれるべき思想家」として、大先輩の民俗学者の宮本常一(1907~81)を取り上げたのか?
「民俗学の先駆者の柳田国男、折口信夫らは思想家と見られていますが、後継者の宮本はそうではありません。広範なフィールドワークやルポ風の調査報告といった側面だけが注目され、その手法の底に流れる思想は正当に評価されてこなかったのです」
生活誌(史)を探るためのフィールドワーク調査は、現在では文化人類学や社会学の分野でも広く採用されている。だが、日本で最初にその手法を開拓し活用したのは民俗学の宮本常一だった、と畑中さんは言う。
イキイキした生活誌
冒頭の章は、1960年に発表された宮本の代表作『忘れられた日本人』である。
「所収の13編はどれも、客観的調査報告というよりも、イキイキした生活誌ですね。しかも座談会、聞き書き、紀行文などリポートの形態もさまざま。中でも有名なのは、盲目の乞食の自分語りの〈土佐源氏〉と、村のユニークな寄り合い制度を描いた〈対馬にて〉の2編?」
〈対馬にて〉は、宮本依頼の古文書借用について、対馬の村の役員らが何日もかけて全員納得するまで話し合う寄り合いの情景。日本の村にあった満場一致の民主主義制度とされる。
〈土佐源氏〉は、土佐で牛馬の売り買いを生業とする80代の馬喰(ばくろう)への聞き書き。彼の唯一の楽しみが女性との性交渉であり、身分の高い人妻らとの赤裸々な内容が衝撃的だった。
「宮本は、柳田や折口が掘り下げなかった“性”の領域に、果敢に挑戦した?」
「そう言えます。『夜這いの民俗学』を書いた赤松啓介と同じ側ですね。庶民の生活誌から“性”を取り除いたら、民俗学は成り立たない、と知っていた。また馬喰は、共同体の周縁を渡り歩く“世間体”ですが、宮本は祖父や父、自分自身が移動を続ける“世間師”だったこともあり、彼らを重く見ました」
「世間師」は共同体の内外を移動する存在
「世間」とは「人の世」「世の中」のことで、「世間師」は共同体の内外を移動する存在。宮本の実家は山口県周防大島の貧しい農家だったが、父は各種の職を転々とし、やがて島に養蚕技術や柑橘類栽培を根付かせた。
「世間師のもたらす情報や技術が必ずしも成功するわけではありません。失敗も多い。ただ、戦後間もなくまで、日本中のどんな村にも世間師はいて、彼らの新知識により、日本の村は長い間漸進的な発展を続けてきました。世間師は村を動かすエネルギー源の一つでした」