国道354号線は、群馬県・高崎市に始まって太平洋岸の茨城県・鉾田(ほこた)市まで、利根川に並走しながら北関東を東西に横断する全長約200キロの産業道路である。
室橋裕和さんの『北関東の異界 エスニック国道354号線 絶品メシとリアル日本』(新潮社)は、この国道沿線に外国人居住地が多いことから、「将来の多文化共生の日本社会の縮図」と捉え、「エスニック国道」と名付けて丹念に実情報告した作品だ。
「〈まえがき〉によれば、今回の取材は、友人に北関東巡りを提案され、それに同意したことが直接のきっかけですね?」
「はい。2人とも“日本の異国探検”ファンで、エスニック料理が大好き。その小旅行を契機に、もっと掘り下げてみよう、と」
著者の室橋さんは、タイに約10年間滞在して現地で雑誌記者などを務め、もともと東南アジアに親近感を抱いていた。アジア特有の寛容さや「まったり感」、それを支えるしたたかな生命力などに魅惑されたのだ。
しかも、「異文化共生」は物書きとしてのテーマでもあり、現在も日本屈指の多国籍な町、東京・新大久保に住み続けている。
「354号線が貫くのは、主に群馬県と茨城県ですね。一般的には工場地帯や農業地帯で、これといった名所旧跡はありませんが、そこに外国人が大挙してやってきたのは、この国道沿線に働き場所があったから?」
「そうです。群馬県には大小の工場が多く、茨城県は日本有数の農業地帯。どちらも期間限定の労働力を大量に必要としますが、日本人はもはやこの種の労働にはつかない。そこで外国人労働力に頼る。雇用の調整弁としての需要と供給が釣り合ったわけです」
日本にやってくる外国人の変遷
外国人の流入には一定の起伏があった。
1980年代には、ビザなしで入国できたイラン人、パキスタン人など中東・南アジア系の工場労働者が急速に増えた。だが、不法就労者が多く、入管法が改定された。
1990年代に置き換わったのが、日系のブラジル人やペルー人など南米系である。
その後、技能実習生の制度が導入されると、2000年代には日系人の減少と入れ替わるようにベトナム人、インドネシア人などの東南アジア系が増加。さまざまなグループが各地に居住するようになり、現在に至る。
本書によれば、車や電気関連の大企業がある群馬県の大泉町にはブラジル人が集結し、館林市にはミャンマーからのロヒンギャ難民。354号線から少し離れた栃木県・小山市には中古車ビジネスに進出したパキスタン人の一大勢力がある。
茨城県・境町にはインド・パンジャブ州系のシク教徒寺院があり、坂東市や土浦市では農業に従事するタイ人の存在感が圧倒的。常総市は人口の約1割が外国人で、鉾田市には農園で働くベトナム人技能実習生が目立つ。
「技能実習生というと、近年問題がいろいろ指摘されていますね。他の雇用先に転籍できないので、脱走して犯罪などの問題を引き起こす。中でもベトナム人が多いそうですが?」
「ベトナムの場合、来日の際の借金が多額だったり、仲介がいい加減だったりと送り出す機関の杜撰さがあります。むろん、雇用する日本の農家や企業側も、一部に給料の未払いや暴言、暴行等があるわけですが」
ただし室橋さんは、「一部に問題があるからといって全体を否定的に捉えたくはない」と言う。多くのベトナム人技能実習生が真面目に奮闘する姿を見聞してきたからだ。