2024年12月22日(日)

オトナの教養 週末の一冊

2023年1月21日

『老年の読書』(新潮選書)。前田速夫(まえだ・はやお)。1944年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。68年、新潮社入社。95年から2003年まで文芸誌「新潮」編集長を務める。87年より白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間を尋ねて』『白山信仰の謎と被差別部落』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『未完のユートピア 新生・新しき村のために』など。

 著者の前田速夫さんが『老年の読書』(新潮選書)を書く契機は、2013年に突然、68歳で末期がんの宣告を受けたことだった。

 前田さんは60歳で出版社を退職後、在野の民俗学徒として精力的に調査・執筆活動を続けていたが、体調不良で受診するや「ステージ4」の大腸がんと判明したのだ。

 大腸と肝臓、2度の大きな手術を受け、「奇跡的に」命を取りとめた。そして生命の危機との直面は、当然死生観を揺るがせた。

 「末期がん宣告で自分の死と老いを身近に感じたため、改めて、古今の名著から偉人・達人の境地に近付きたいと願ったわけですね?」

 「ええ。もう後がないとわかったので、民俗学研究の資料を除いて、死ぬまでにもう一度読んでおきたいと思った本以外は、膨大な図書を思い切って処分したんです」

 いつでも再読できるように厳選して書棚に残された書物。それが、古代ローマのキケロ『老年について』から山田風太郎『人間臨終図巻』まで、本書掲載の50余冊である。

遅咲きの人生

 「日本人の老年期の志向には、昔から、鴨長明『方丈記』や松尾芭蕉作品のような隠遁志向と、コラムの井上ひさし『四千万歩の男』で描かれた伊能忠敬のような”遅咲きの人生“志向があります。前田さんは、どちらでしょう。やはり遅咲き派ですか?」

 「世捨て人にはなれませんよね。私も基本が年金生活だから隠遁はしておれない。自分自身が遅咲きなので遅咲き派に共感しますけど、でもあくせく仕事に忙殺されるのは御免ですね。最初の方でローマの哲人セネカも言うように、目先の何かに忙殺されず、自分にゆったりと向き合って過ごしたいです」

 本書の読書案内で圧倒的に異色なのは、女性作家とその著書を紹介した一章である。

 例えば、文芸誌編集者時代の前田さんが担当で自宅を訪れたことのある宇野千代。

 「当時70代の宇野さんの著書『幸福』の中に、風呂上がりの自分の裸がボッチチェリのヴィーナスに似ている、とあります。また85歳の作『生きて行く私』では、”自分が不幸が好きなときは不幸だし、幸福が好きなときは幸福だ„と。瀬戸内寂聴さんもすごい。男を成長の糧としてきた岡本かの子や伊藤野枝などの評伝を幾つも書き、出家後も執筆、説法、人生相談とばく進し続けましたね」

 「女性にはかなわないな、と思います」

 「女性作家が“老いていよいよ華やぐ„のは、生来の逞しい生命力のせいでしょうか、あるいは男性より強いナルチシズムのせい?」

 「強くないと生き残れなかったんじゃないですか。彼女たちの人生は闘いの連続だったから、でしょうね」

農業共同体「新しき村」

 本書のもう一つの特徴は、トルストイの作品から、トルストイの「人類共生」の教えに影響を受けた武者小路実篤、その実践である農業共同体「新しき村」、そして前田さんの両親がその村外会員だった話への展開である。

 「中高生の頃は“仲良きことは美しき哉„などの実篤語録に反発していましたが、退職後ですね、本当の価値がようやくわかったのは」

 開村百年を前に宮崎県や埼玉県の「生き残り」村民を訪ね、後継者不足による村消滅の危機と「自他共生、人類共生」の理念の普遍性を再認識し、村の復興を決意したのである。

 「では現在、具体的な活動もしている?」

 「昨年から一般財団法人から公益財団法人に衣替えしている最中で、村内・村外ともに新しい会員を募集しています」

 「本書には、“今こそ「新しき村」の出番„とありますが、この意味は?」

 「100年前に実篤が共同体を作った頃は、現代とよく似た時代でした」

 その年、1918年にはスペイン風邪が猛威を振るい、シベリア出兵やコメ騒動もあった。

 「コロナとウクライナ戦争で分断された現代同様です。そんな時代には、小さな共同体の再生から始めるのが一番だと思います」


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