書店には韓国情報の本があふれている。嫌韓本もあるが、多くは世界最先端とされる映画、音楽、アイドルなど。人気のグルメや伝統料理を紹介した本も多い。
しかし本書『韓国併合』(森万佑子、中公新書)は「まえがき」で、「なぜ日本の植民地になったか」という日韓の根本問題について書かれた一般向けの本はほとんどない、と記す。歴史学者による韓国併合についての日本の本は、1995年以降刊行されていない。
「その後併合以前の新しい史料が出てきたので、それが執筆の動機ですか?」
「それもありますけど、私の専門が地域研究としての朝鮮半島なので、朝鮮側の動向を彼らを主体に描いてみたかったんですね。これまでの本は皆、日本が主体でしたから」
朝鮮半島は1910年8月から45年8月まで35年間、日本の植民地だった。
その前は、朝鮮王朝が500年以上続き、1897年10月に最後の国王・高宗が皇帝に即位して、国号を大韓帝国と改めた。
13年間続いた大韓帝国
従って、1910年の韓国併合まで大韓帝国は約13年間継続したことになり、本書は主にその時代に焦点を当てている。
「日本の近代化は明治維新で一挙に欧米列強型の『条約体制』へ移行しますが、朝鮮の場合は長い間『条約体制』を拒絶しますね?」
朝鮮は中国を中心とする中華秩序の中にあり、長期間「朝貢体制」に馴染んできた。
中国皇帝に貢ぎ物を捧げることにより国王として冊封(任命)される、という儒教的上下関係である。宗主国に朝貢すれば「属国」だが、内政・外交は自主的に行うことができた。
そのため1876年に日本と日朝修好条規を締結した後も、「属国自主」を掲げた。
「朝鮮には、自分たちこそ明朝中華を継承しているという自負があったんです。小中華思想といいますか、女真族出身の清ではなく、朝鮮こそが正統な儒教を受け継ぐ国だ、と」
日清戦争で日本が勝ったことにより、下関条約(1895年4月)で「朝貢体制」がなくなり、朝鮮は「条約体制」だけに属することとなる。
だが、高宗や政府は議会開設を望まず、高宗は中国に倣って皇帝に即位した。
「わからないのは、日清戦争後に独立協会による朝鮮国内の大きな近代化運動があって、森さんの表現では、『大韓帝国が近代的立憲君主制になる道が開かれていた』のに、高宗や政府に弾圧、解散させられたことです」
近代化の中心となった独立協会は1896年7月に結成。(漢文ではなく)初めてハングルによる新聞を発行し、独立門や独立館、独立公園を制定して民衆の「国民」意識を啓蒙し、さまざまな内政改革を提案。組織を全国に展開して議会開設を要求した。
だが、独立協会が「帝国」と「皇帝」を認めたにもかかわらず、高宗や守旧派大臣らは急速に態度を硬化させ、対立、弾圧に至った。
「独立協会など近代化勢力は、都市の富裕層や知識人主体で、民衆とは隔たりがありました。それに、近代化のモデルが日本だったため、反発も強かったんです。そして何より、高宗自身の皇帝専制への意志ですね」
専制国家を作り、反対派は力で抑える
目指すのは「中華の天子」だった。唯一無二の統治者である。そのためには議会ではなく諮問機関を設置し、皇室財政は縮小ではなく拡大。すべての権限を皇帝に集中させる専制国家を作り、反対派は力で抑える……。
「朝鮮人、というよりこの時代はもう韓国人ですが、高宗が韓国人による自発的近代化を阻止したことは、現在の韓国ではどのように考えられているんでしょうか?」
「右派の人は、高宗を評価せず、大韓帝国を批判的に見ています。左派は、開明的君主だったと。外交も中立だし、『旧本新参』(古いものを守りつつ新しいものを入れた)だった。現在の国史教科書は、主にこの左派の立場です」
「しかし、専制国家志向は反動的では?」
「いや、現代の北朝鮮の前史だったと思えば、理解できるかもしれません」
高宗の態度硬化の底には日本に対する憎悪もあった。日本排除のためロシアを引き込もうとした妻を三浦梧楼公使らに殺され(閔妃殺害事件、1895年10月)、以来日本に対し恐れと憎しみを抱くようになったのだ。