柿沼陽平氏の『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』(中公新書)は一般向けの斬新な歴史書である。
中国古代史学者の著者が、約2000年前の漢帝国にタイムスリップし、許可を得て帝国の都市や田舎を散策するという想定だ。
見て回るのは古代中国の1日24時間。服装、食卓、住居から宴会、性愛、育児まで、上流階級や庶民らの日常生活を探る。
「執筆の契機はアルベルト・アンジェロの『古代ローマ人の24時間』(河出書房新社、2012年)ですよね? 柿沼さんも古代中国の24時間を書けるか、と自問された?」
「専門が中国の古代貨幣史なので、以前から当時の庶民の家計や暮らしに関心がありました。で、2010年頃に原書を英語で読んで刺激を受け、全史料を再読してみよう、と」
10年をかけて執筆
対象期間は、秦漢時代を中心に前後の戦国時代と三国時代を含めた紀元前4世紀中頃から紀元3世紀中頃まで。この期間は人々の日常生活に大きな変化がほぼなかった。
ただし、史料の大半は政治に関わる内容。日常生活を伝えるものは、ほとんどないので、人物エピソードや詩歌を活用した。
「例えば失恋の詩の中に、夜中に蠅や虻(あぶ)が飛んでいる場面がある。室内には蚊帳(かや)がある。となると、夜に寝ているときに虫の羽音は聞こえてもよいと推測するわけです」
こうして、主要な古代史料約1500万字(新書で100冊程度)を精査した。これに画像石などの考古資料も加え、およそ10年かけて執筆したのが本書である。
「室内では裸足(はだし)だったとか、初めて知った生活の詳細が幾つもあって驚いたんですが、農民が非常勤の兵士や官吏だった、という話も新鮮ですね。農業の収穫だけでは暮らせないので、農閑期に副業として、輪番制で兵役に就いたり下級役人になったりした?」
「ええ、それを記した木簡や竹簡があって、学会でも10年ほど前から定説になっています」
古代中国の24時間は、夜明け前から働き始める官吏や農民の仕事ぶりからスタートするが、興味深いのはやはり衣・食・住である。
貴重品の衣服は麻と絹に二大別される。
「富裕層が錦だの綾だのの絹織物を普段着としていたのは当たり前でしょうが、庶民は麻織物のみ。夏はひとえの服で、冬は綿入れの袍。袍の中の綿は、木綿ではないのですか?」
「古代中国に木綿は、ほとんどありませんでした。袍に使った綿入れの綿は、麻を紡いだ時に出た半端部分を叩き延ばしたりしたものです」
全体にいたって質素だ。当時は半袖も下着もなく、肉体労働者はフンドシ一丁で働いていた。
食事も、庶民層は1日2食が普通だった。華北の穀物はアワ、キビ、オオムギで、華南は主にコメ。蒸して粒食にして食べた。
「それにしても副食がお粗末ですね。庶民の野菜はネギ、ニラ、モヤシ、瓜やマメ程度。スープの具もネギかニラ?」
「鶏卵を入れたニラ玉がせいぜいでしょう。肉は無理です。庶民でも貧乏人は、20日で9回の食事ではさすがに生きてはいけないという記事があるほどです。金持ちは食べ放題。牛、豚、馬、鴨など、子羊のスープから熊の掌まで何でもアリですが」
下級官吏は乾飯とネギ、ニラのスープがほぼ常食と言っていい。魚は地域限定の副食だった。