秦の始皇帝や項羽、劉備などは麺が食べた可能性
「でも、秦の始皇帝や項羽、劉備などは麺を食べた可能性もある、と本書にありますね?」
「小麦を石臼でひいた小麦粉の粉食は漢代に始まり、唐代にかけ徐々に普及しました。ですから、始皇帝や項羽が食べた可能性が高いのは、その前のアワの麺です。しかし三国時代には小麦の麺を食べていてもよいわけです」
「古代中国料理は現在の中国料理とはまったく別、という記述もありますが、どこがどう違っていたんでしょうか?」
「調理具が富裕層では青銅器、庶民では土器なので、火力が強くない。ですから高温の揚げ物や炒め物が作れません。油も、上流階級にはありますが、庶民は手が届かない。味付けの唐辛子もまだ入ってきていない。油、揚げ物、唐辛子のない中華料理です」
椅子が西域から導入されたのは後漢末(3世紀前半)だから、それまでは台座で正座などの姿勢で食べた。
確かに、これでは中華料理のイメージからはほど遠い。ただ、当時も膾(なます)があり、これは日本の刺身に先んじた生の魚料理だったとのこと。
家屋は、四角い建物が中庭を囲む四合院。親族同居で暮らし、中庭に井戸や炊事場がある。四合院は現在まで続く伝統的中国建築だが、華南には高床式家屋も多かった。
「県域や郡域などの都市を壁で囲む習慣、これは日本に伝わっていませんが、中国ではなぜ夜間に門番を置き閉門などしたのですか?」
「域外は、夜は鬼(おばけ)や獣、盗賊が出る、とされました。実際、当時の治安は悪く、域内の通行も夜は制限されていました」
「恋愛」という熟語はない
意外なのは男女の関係である。男が桑摘みや川で洗濯中の女に声をかけるナンパはあるが、「恋愛」という熟語はない(2世紀以降は「情」と呼んだ)。婚前交渉や身分を越えた恋情などは、タテマエでは制約されていた。
「やはり、儒教の強い影響があった?」
「そうです。前漢後期(紀元前1世紀頃)に儒教が官学になると、夫婦別室など男女の制約が増え、言論の世界で色恋を描くことが難しくなりました。けれども、建前はそうでも実態は違っていたと思います」
柿沼さんが重視するのは、対象期間の前後の期間の史料だ。戦国時代より前の春秋時代の『詩経』には下半身のことを詠んだ歌謡があるし、後漢時代(紀元1~3世紀前半)以降も、房中術など、不老長生を願った性の指南書が広く出回っていたからだ。
「おそらく、中間の秦漢時代も男女関係は盛んだったと思います。同じ人間ですからね」
後漢から三国時代(3世紀中頃)といえば日本では『魏志倭人伝』の卑弥呼の時代である。「男子は大小となく皆鯨面文身(げいめんぶんしん 、顔と体にイレズミ)す」という、神話のような時代に、城郭の内外で儒教を重んじながら、具体的にどのような生活を古代中国人が送っていたのか知ることは、非常に興味深い(ちなみに、中国のイレズミは春秋・戦国時代の昔から罪人の印であり、一般に嫌われていた)。
「ところで、葬式についての記述は本書にありませんが、その理由は?」
「日常の散策なので非日常である死の話題は避けました。病気、葬儀など、書き出すとそれだけで各一冊になります。医学史は漢方薬だけで膨大な史料です。他にも税のことなど、そちらはむしろ私の専門ですが、煩雑になるのであえて触れなかった分野もあります。今回は古代中国の日常史という、これまでなかった領域への第一歩、入り口とお考えください」
「病気や葬儀については続編で?」
「そういうことにしておきましょう(笑)」
エピローグに、古代中国は激動の時代だったからこそ、日常性の把握が大切とある。変わりばえのしない毎日の愛しさ、懐かしさ、それ故の尊さ。今の時代にも該当しそうな価値観である。