2024年11月22日(金)

オトナの教養 週末の一冊

2023年1月21日

ハイデガー『存在と時間』

 入院中に読み、特に感銘を受けた本に、ハイデガー『存在と時間』があった。

 「難解な哲学書ですが、前田さんは“良心の叫び声に応じ、死へと先駆する決意をすれば(死の不安がなくなる)„という箇所を特に取り出して解説を加えていますね」

 「受身のまま病床で死ぬのは避けたかったので、自分から死に近付き、飛び越して、死を引き寄せる、という部分に強く影響を受けました」

 「そして“死からの叫び声に応じる„ことは、前田さんが退職以来研究対象としてきた白山信仰と、実は同じである、と?」

 白山信仰は北陸の白山に対する山岳信仰で主神は菊理媛(瀬織津媛)。みそぎを勧める水神であり、死からの再生をつかさどる女神でもある。

 前田さんは2006年の著書『白の民俗学』(河出書房新社)で、「白は聖なるもの、清浄なるものの象徴であると同時に、魔と死の象徴」と記している。

 「白の神秘を直視して、白本来の輝きと戦慄を取り戻せば、死=再生だと思うんです。それはハイデガーの考えに通じるのでは、と」

山田風太郎『人間臨終図巻』

 もっとも、前田さんは本書の何カ所かで、「人は死ねばゴミになる」「死後何も残らない」「魂はない」と書いている。従って今回の50数冊のうち、例えば山田風太郎『人間臨終図巻』などが、今の自分の好みのタイプであると。

 山田は同書で次のような寸言を残している。

 〈死んでみりゃあ、はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、みなの衆〉

 〈自分が消滅したあと、空も地上もまったく同じ世界とは、実に何たる怪事〉

 〈臨終の人間「ああ、神も仏も無いものか?」神仏「無い」〉

 「死を突き放して眺めていて、いっそすがすがしいですよね。私の感性になぜか合うんです」

魂があってほしい、他界が存在してほしい、という願望

 しかし、「人は死ねばゴミ」で、消滅した後に何も残らない(魂もない)のであれば、民俗学の先達たちが繰り返し語ってきた「来世とのつながり」はどう考えたらいいのか。

 「前田さんが師と仰ぐ、民俗学者である、柳田國男は祖霊観、折口信夫はマレビト観、谷川健一は“明るい冥府„観、それぞれ来世の存在を前提としていますよね。前田さんの“白の信仰„の死=再生もそう。でも、そういう民俗学の世界は、“人は死ねばゴミ„観と矛盾するのでは?」

 「死ねば肉体も精神も無となることは科学的にハッキリしています。だけど、魂があってほしい、他界が存在してほしい、という人間の思い、願望までは否定できないと思います」

 死んだ人の思いを今も感じる。あの世に照らされて、この世がある。そうした思考法は、古今東西絶えることなく続いてきた。

 民俗学もその思考法を継承している、と言う。

 「それを全否定するのは、人間として余りに傲慢なのではありませんか?」

 従って「来世」は無いけれど、あるのだ。

 「これからは、どういう生き方を?」

 「やりたいことが余りにたくさんあるので(笑)。やりながらパタリと逝けば、それが本望です」

 本書冒頭にあったキケロ『老年について』の中の言葉が、思わず浮かんだ。

 〈研究や学問が幾らかでもあれば、暇のある老年ほど喜ばしいものはないのだ〉

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