『わが故郷のキネマと文学』(弦書房)は大分県出身の矢野寛治さんが、大分県を舞台にした文学・映画について書いた新聞連載のコラム192本を基盤としている。
「大分県といえば別府、湯布院などの温泉県。一般に知られているのはそれくらいだから、もっと掘り下げて発信したかった?」
「あと、すべって転んで大分県(笑)。温泉県といっても、私の生まれた中津市には温泉がないし、けっこうまとまりがないんですね。江戸時代に小藩が7つも8つも分立していた歴史的背景もあると思いますが」
調べてみると、文人墨客が意外に多く豊前・豊後(大分県)を訪れたり作品で言及したりしており、大分県でロケした映画も少なくなかった。それでテーマが絞られたという。
福沢諭吉が嫌いだったのは故郷ではなく、身分制度
「冒頭の項目が、福沢諭吉と中津の関わり。『福翁自伝』では中津を嫌って離れた、とあるけれど実は好きだった?」
中津・奥平藩の下級武士の末っ子だった福沢は、3歳から21歳までを中津で過ごしたが、『福翁自伝』で〈こんな所にだれがいるものか〉と記している。その記述から、地元でも「諭吉は中津嫌い」と目されている由。
それを別の資料(「中津留別の書」)の<誰か故郷を思わざらん〉などから、「諭吉は故郷中津が好きだった」と修正したのだ。
「諭吉が嫌悪したのは藩政時代の身分制度です。風土や人情ではありません」
現在の中津市には福沢通りや福沢家旧宅、代々の墓があり、中津城の公園にも福沢諭吉の「独立自尊」の石碑が建っている。
「大分弁の特徴は“ちの国”?」
「そうです。何でも言葉の最後に“ち”をつける。“どげちこげち、言いなんち(どうこう、言いなさんな)”。福岡に住んでいる私も、中津駅を降りると“ち”漬けです」
大分県は「美味求真」の県でもある。
よく知られているのは全県的に柑橘類のカボスだが、高級品の大分市の関サバや関アジ、別府市や杵築市の城下ガレイ、赤身肉で有名な豊後牛も名声を保っている。
「あと、唐揚げも大分名物とか?」
「中津市と宇佐市が“唐揚げの聖地”を競っています。今、唐揚げは全国的なブームですが、戦後に大陸からの引き揚げ組が中津や宇佐で作り始めたんですね」
矢野さんの両親も北京から引き揚げ、中津駅前で小さな飲食店を営んだ。その頃のメニューにも唐揚げが入っていたとのこと。
「で、大分県と関わった多数の文学者ですが、その関わり方の違いから区分けできますね。①旅行者、②出身者、③第2の故郷とした人、④大分県を特別扱いした人、と」
①は森鴎外、夏目漱石、田山花袋、高浜虚子、種田山頭火などだ。
②は獅子文六(中津市)、林房雄(大分市)、野上弥生子(臼杵市)、筑紫哲也(日田市)など。文学者ではないが大衆のヒーローの双葉山(宇佐市)や稲尾和久(別府市)も。
③国木田独歩にとっての佐伯市、藤原義江の杵築市、赤瀬川原平の大分市、リリー・フランキーの別府市などである。
④五木寛之は『百寺巡礼』で満願の百寺目に中津市の羅漢寺を選び、小林秀雄は晩年京都ではなく湯布院(由布市)に通い詰めた。
「先日亡くなった畑正憲さんは③ですね。中学・高校時代を日田市で過ごし、『ムツゴロウの青春記』で〈私にとって、高等学校が天国だった〉と書いていますから」
「日田市は自由でバンカラな気風です。青春の悩みを乗り越えたい高校生諸君は、ぜひこの畑さんの本を読んでもらいたい」