2024年5月19日(日)

霞が関の危機は日本の危機 官僚制再生を

2024年1月19日

 3つ目は、「政治的役割代行からの解放」である。官民交流、専門家登用、デジタルトランスフォーメーション(DX)などの推進に先立ち、政官間の役割分担の適正化も欠かせない。幹部官僚の仕事の大半が政治的調整という現状を変えない限り、能力の無駄遣いに終わってしまう。

 「株主総会が毎日行われるようなもの」と表現されるように、連日大量の想定問答を作成する国会対応の負担は大きく、質問の早期通告など合理化に向けた動きがようやく始まった。ただ、与党議員には政務調査会など事前の意見反映の場があるが、野党にとっては国会が少数を代表して意見表明できる唯一の場だ。効率性や官僚の働き方と同時に、「十分な討議を通じた政策形成」という議会制民主主義の確保にも配慮する必要がある。

 むしろ本丸は、与党政治家が国際標準に沿った役割を果たすことだろう。ドイツや英国では、事実関係を示す数枚の紙を渡せば首相や大臣は即興で国会答弁する。同様の状況が実現すれば、日本の官僚も大臣らへの補佐が減る分、高度な政策立案や現場の改善に多くの時間を割けるようになる。

 4つ目は、「仲間としての支援」である。労働市場で有能な人材を獲得するには誘因を要する。英国では求める専門性を詳述して全ポストを公募しているが、幹部級になると処遇の低さや政治との軋轢などが敬遠され、要件とかけ離れた人材を選ばざるを得ない実情が指摘されている。シンガポールのように民間に対抗しうる高給を払うのも難しいなら、公務の仕事そのものの魅力を高めていくほかない。

 幹部官僚に仕事から得られた喜びを聞くと、障碍者や被災者、低中所得者など困難を抱える生活者を支えられた実感を挙げる人が多い。「評論でなく、人々の痛みに向き合う現場の執行まで担うのはわれわれだけ」という矜持の表れである。若い世代にも社会貢献の手応えを求める人は多い。

 私事になるが、「政治主導の抵抗勢力」という人事院への批判が激烈だった09年、採用試験や研修の企画まで首相の下に移す法案が準備され、担当課長だった筆者は現行法が民意に反するのかと消沈していた。その最中、ある会社のトップから「公務員の質が落ちれば民間も困る。頑張りなさい」という短い電話があったことがどれほど支えとなったか、言葉では表せない。

 官僚も理不尽な攻撃や罵倒を受ければ心が折れ、激励されれば意欲を取り戻す「生身の人間」だ。もちろん国民の信頼を失わせる怠慢や不祥事への厳しい制裁は必要だが、日頃の鬱憤をただぶつけることは許されない。代わりに「仲間として信頼し、応援している」というエールを送ることは一人ひとりにとって最大の活力源となる。

〝退却作戦〟の現実を直視し
自分事として地道な政策検証を

 官僚制再生に向けた政官関係の健全化には、最大の利害関係者である国民が監督者として名乗り出るしかない。

 その時に大事なのは、繁栄していた時代への復帰を夢見るのをやめ、「退却作戦のような面が少なくない」(佐々木毅・令和臨調共同代表)現実を直視することだ。批判だけならたやすい。もどかしく感じられる現状が政府の怠慢のせいなのか、それとも資源的制約が強まる中では最適解なのかを見極めるには、日々の政策判断を自分事としてチェックする忍耐が求められる。

 国民が参加する裁判員制度が根付き、近年まで日本になじまないといわれていた企業統治も定着した。政策過程に対する国民検証も実現できないはずはない。

   
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Wedge 2024年2月号より
霞が関の危機は日本の危機 官僚制再生に必要なこと
霞が関の危機は日本の危機 官僚制再生に必要なこと

かつては「エリート」の象徴だった霞が関の官僚はいまや「ブラック」の象徴になってしまった。官僚たちが疲弊し、本来の能力を発揮できなければ、日本の行政機能は低下し、内政・外交にも大きな影響が出る。霞が関の危機は官僚だけが変われば克服できるものではない。政治家も国民も当事者だ。激動の時代、官僚制再生に必要な処方箋を示そう。


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