2024年4月30日(火)

BBC News

2024年4月15日

フランシス・マオ、サンミ・ハン

朴沖綣(パク・チュングォン)氏(38)は若いころ、祖国・北朝鮮で核ミサイルの製造を手伝っていた。西側諸国を脅すために北朝鮮が時折発射する、あのミサイルだ。

その彼は今、民主的な隣国の立法府にいる。今週に投開票が行われた韓国総選挙で、国会議員に選出されたばかりだ。

権威主義国家から民主国家に移り住む人は、より良い生活や機会を夢見るものだ。難民から議員になれるだろうか。あるいはいつの日か大統領にさえ? 可能性はある。

しかしそれは、北朝鮮出身者にとっては並大抵のことではない。これまでに韓国の国会議員になった脱北者は、朴氏を含めてたった4人だ。

「私は何も持たずに韓国に来ました」と、朴氏はBBCに語った。「そして今、政界入りできた」。

「このすべてが自由民主主義の力なのだと、私は考えます。市民がそれを実現させたからこそ、あらゆることが可能になったのだと思います。これは奇跡で、祝福です」

北朝鮮ウォッチャーにとっては、進歩の兆しでもある。

「自分の意思を行動で示し、政権の抑圧に命がけで抵抗した北朝鮮人は何万人もいます。敗れた人もいれば、そうならなかった人もいます。世界はその恩恵を受けているのです」と、カナダ・オタワにあるカールトン大学の准教授で、北朝鮮国内の生活について研究するサンドラ・ファヒー氏は言う。

「民主主義における代表制の仕組みと、政治参加がいかに重要か。そのどれも禁じられた世界で生きてきた人ほど、その重要性を理解できる人はめったにいない」

「あまりに危険」 家族にも告げず脱北

朴氏は10年半前、23歳の時に北朝鮮の支配から逃れた。脱北計画のことは両親にも、親族にも、一言も漏らさなかった。自分が脱北することを知っていたら、家族に危険がおよぶ可能性があった、あまりにも危険だったと、朴氏は言う。

北朝鮮での最後の3年間は国防大学で過ごした。北朝鮮の核兵器技術の開発を託された、次世代を担うエリート学生の一人として。

朴氏がいた首都は、それ以外に比べると状況は厳しくなかったものの、彼が育った1990年代の北朝鮮は大規模な飢饉(ききん)に見舞われ、何百万人もが命を落とした。必死に生きようとする市民は、闇市の商品に手を出した。

国外の様子は、見聞きしていた。密輸された韓国のテレビ番組や、中国での留学を通じて。中国では、新しい考え方に強くこだわる朴氏の様子を、政府の世話役が気にしていた。

大学を卒業するころには、「北朝鮮の体制が完全に間違っていて、いかに腐敗しているか」に気が付いた。朴氏は、韓国メディアにこう話している。

そこで朴氏は脱北計画を練り、時が来るのを待った。

脱出したのは、2009年4月。北朝鮮が大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射に初めて成功した日のことだ。このミサイルこそ、朴氏が何年もかけて苦労して製造した兵器だった。国中が「祝賀ムード」に包まれていた。朴氏はその好機を逃さなかった。翌朝、歓喜の騒音にまぎれてこっそり逃げ出したのだった。

もちろん脱北するのは大変なことだった。中国にできるだけ早くたどり着けるルートを選んだが、早い分だけ費用は約1000万ウォン(約110万円)とかなり高額だった。これだけ支払ったにもかかわらず、ブローカーから提供された偽造パスポートは粗悪品だった。

北朝鮮事情の専門サイト「NKニュース」による昨年のインタビューで、朴氏は自由の身になれる可能性を感じた瞬間を思い起こしていた。国境を流れる豆満江の中国側の岸辺によじ登った時、自由と喪失感が入り混じった感覚になり、自分はまるで「世界の孤児」だと感じたという。

脱北からしばらくして、人生を一変させる瞬間があった。韓国のパスポートを手にした時だ。人生で最も幸せな瞬間の一つだと、朴氏は言う。

「公務を通じて恩返しを」

1990年代以降、約3万5000人の脱北者が韓国に定住している。その多くと比べて、朴氏が新たな生活に適応するスピードは速かった。エリートとしての生い立ちと教育のおかげだった。

朴氏は韓国で最も権威のあるソウル大学に入学し、材料科学と工学の博士号を取得。その後、韓国の有力コングロマリット(複合企業体)の一つの現代製鉄(ヒュンダイ・スチール)で、誰もが熱望する仕事に就いた。

そこで、尹錫烈(ユン・ソンニョル)大統領率いる与党「国民の力」から声がかかった。

政界入りを考えたことはなかったが、「国民の力」が手を差し伸べてくれた時に、公務を通じて恩返しをしたいと感じたと、朴氏はBBCに語った。

朴氏は、たとえ投票率が悪くても議席を得ることができる、与党の比例代表候補の名簿2番手になった。総選挙は最大野党「共に民主党」が地すべり的勝利を収めるという、非常に人気のない尹大統領と「国民の力」にとって最悪の結果で終わった。

それでも、朴氏は前を向いている。選挙で選ばれた議員として、大きな抱負を掲げて。

脱北者の状況改善を

今回の選挙前、国会にはすでに2人の北朝鮮出身議員の姿があった。江南の高級地区選出の太永浩(テ・ヨンホ)氏は、北朝鮮の元駐英公使で、ロンドン駐在中の2016年に亡命したことで知られる。

もう1人は、人権活動家の池成浩(チ・ソンホ)氏。10代だった1996年、飢えた家族と一緒に列車から石炭を盗もうとしていた際に空腹のあまり気を失い、車両の隙間から落ちた挙句、列車にひかれて左腕と左脚を失った。その後、松葉杖をつきながら脱北した。

こうした北朝鮮出身の議員たちは長年、脱北者の状況を改善しようと努めてきた。

多くの脱北者は、韓国に到着して新生活を手にしたかもしれないが、2級市民の扱いを受けている気がすると話す。

密入国を告発された脱北者が、韓国当局によって強制送還される出来事もあった。

こうした状況が池氏の2020年の出馬を後押した。池氏は選挙戦で、北朝鮮人の人権を掲げた。

出馬の1年前には、北朝鮮出身の貧しい母娘がソウル市内の自宅アパートで餓死しているのが見つかった。

朴氏は、国会議員としての最初の目標の一つに、韓国に着いた北朝鮮人に提供される支援の改善を挙げている。同氏は生涯続く支援パッケージの実現を推進している。また、新型コロナウイルス対策の国境閉鎖によって新規の脱北者の流入が鈍化したため、予算を再配分すべきだとしている。

南北関係の「架け橋」に

南北関係に貢献したいという思いも、朴氏にはある。

金正恩(キム・ジョンウン)総書記のミサイルによる挑発が増大する中、尹政権が北朝鮮に対して推進する現在のタカ派姿勢を、朴氏は心から支持している。

北朝鮮が挑発的なのは、尹氏によるアメリカや日本との関係強化追求におびえたからだという意見もある。しかし、朴氏はそれは違うと言う。

「尹政権になってから戦争の脅威が高まったと考える人もいます。ですがそれは事実ではありません。前政権の時の方が、もっと強い挑発行為がみられたので」と、BBCに語った。

北朝鮮のミサイル発射と兵器開発は、文在寅(ムン・ジェイン)前政権時代に増加したと、朴氏は指摘する。文政権は北朝鮮に対して、より融和的なアプローチをとろうとしていた。

しかし、融和策というのは取ってはならないアプローチだと、朴氏は主張する。「北朝鮮の挑発を阻止するのが最優先事項で、それが戦争の脅威を軽減するのにつながるのです」。

金正恩氏は1月、韓国との統一はもはや不可能であり、憲法を改正して韓国を「第1の敵国」に定めるべきだと述べた。南北統一を象徴するアーチ型の記念碑を爆破したとも報じられた。それでも朴氏は、分断された朝鮮半島の両側が最終的には統一されると信じている。

金政権がどれだけ敵対姿勢を強めようとも、朴氏はあきらめていない。自分が韓国政府の中で「(北朝鮮への)架け橋としての役割を果たす」のだと決心しているのだ。

「北朝鮮の体制と北朝鮮の住民を、韓国の人たちが切り離して考えられるよう、手助けをしたい。そして、統一につながる考え方を育てたい」

(英語記事 How a North Korean missile researcher became a South Korean MP

提供元:https://www.bbc.com/japanese/articles/cqen2lveyg9o


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