2024年5月19日(日)

Wedge REPORT

2024年4月26日

森林の維持回復から積極的経営へ

 戦後しばらくは、戦時中の乱伐のためはげ山だらけだった国有林を早急に回復することに主眼がおかれていた。昭和30年代に入り、木材需要の急増に対処して森林生産力の増強を図るため、民有林と歩調を合わせて積極的に森林の改良を進めることになった。これが拡大造林政策で、成長量の低い広葉樹を伐採してスギ、ヒノキ、カラマツなどの建築用材向けの針葉樹を植栽したのである。

 明治期にドイツ林学から移入された保続理論が長らく国有林経営の基調であった。特定の年に過度な伐採をするのではなく、毎年の伐採量を抑制的かつ均等にして、森林資源の枯渇を防ぎ、安定的な収入を維持していこうとするものだ。

 今風に言えば森林の持続的経営だろうが、保続の方がたった2字で言い得て妙である。具体的には、年間収穫量(伐採量)を年間成長量以下に抑えることによって荒廃森林の回復を目指したのである。

 ところが、それでは増大した木材需要に到底応えることはできない。林野庁は保続理論のタガを外して増伐に踏み切ろうとするが、これに対して林学界が猛然と反発した。ここに森林経理学論争と呼ばれる日本林学史上最大のイベントが起きた。森林経理学とは保続理論を基礎とする学問であり、その有効性をめぐって大家である東京大学教授相手に論陣を張ったのは何と林野庁の一係長だった。

 もともと河野一郎農林大臣(当時)の強権で木材増産が打ち出されていたから、この論争の帰趨(きすう)は明らかであった。それに国有林としてもまったく保続理論を無視したわけではなく、拡大造林によって広葉樹天然林から針葉樹人工林に転換することによって将来的に増加するであろう成長量を見込んで、収穫量の増加を正当化したのである。

 さらに、早成樹種の開発、林地への施肥など技術的な確証もないまま成長量増加の根拠にした。何やら昨今の少花粉スギの導入や早成樹の開発と瓜二つである。

 果たして妙手と思われた将来成長量の増加はやはり机上の空論だった。国有林における拡大造林は一般に奥地の天然広葉樹林を皆伐して針葉樹を植栽したのだが、寒冷や風害などによって不成績造林となることが多く、思うように成長量の増加は果たせなかった。

 結果論ではあるが、最初から保続理論を捨てて必要な木材を増産し、木材需要が緩和されるか、森林資源が枯渇した時点で伐採を休止して、事後はもっぱら森林の再生に専念すべきだったのである。江戸時代には、過伐によって森林が荒廃して連年のように洪水が発生する事態はよく起きたが、領主はその流域を留(と)め山にして伐採を禁じ、森林の回復に努めた。

 青森の津軽藩の白神山地や岐阜の天領裏木曽(うらぎそ)などにそうした事例がみられる。特段ドイツ林学の精緻な理論によらなくても、日本流でよかったのだ。

 この森林経理学論争が残したものは、実態を反映せずともよくできた机上理論を珍重する悪習を林野技官に植え付けたことである。現在でも机上理論は林野技官を支配し続けており、ともすれば理論に溺れ、予算をかけて逆に森林を劣化させる事態が散見される。

 また、これ以後の学界に精彩が失われ、現在に至るまで机上理論の後付け証明をする、行政の脇役に成り下がったとしか思えない。行政と学界が現場実態を踏まえた真の論争に立ち返ることを期待したい。


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