2024年5月19日(日)

Wedge REPORT

2024年4月26日

国有林経営の破綻と累積債務

 図2は、国有林野事業をめぐるさまざまな要素を時系列に示したもので、林野庁が作成したものである。なかなか秀逸で、資料作成能力は高い。このような能力を現場で発揮してもらうとうれしいのだが。

図 2 国有林経営にかかわる要素の時系列的変化 写真を拡大

 3つのグラフを遠目に見てもらえばそれぞれの要素が相関を持って変動しているのが一目瞭然である。ポイントは上の図の濃紺の折れ線で示されている収穫量である。

 1961~1971(昭和36~46)年にかけて2000万立法メートル(㎥)を超える量を収穫してピークを迎えた。このころの成長量(赤線)は収穫量のほぼ半分程度である。当然収入は増大して国有林野事業は活況を呈する。収入が支出を上回って生じた剰余金は、試験研究(林業試験場)、林木育種(新しい品種の開発)、官行造林(民有地を借りて国が行う造林)、治山など関連事業に当てられたほか、一般会計への繰入も行った(下の図の青い棒グラフ)。

 上の図を見ると濃紺の収穫量、緑の新植(苗木の植栽)面積、水色(定員内)と黄色(定員外)の職員数はぴったり相関している。収穫量が増えれば、皆伐面積が増え、造林面積も増える。それらの事業を実行するための要員も増加する。経営を圧迫した1番の要因は人件費であるが、この図を見るかぎり収穫量と連動して要員数は調整されていると見るべきであろう。

 しかしながら、高度経済成長下での賃金単価の上昇、国の事業であるがための事務量の多さに対応するための定員内職員の比率の高さが足枷となる。また、労働運動の高まりで、雇用条件や労働条件等の待遇改善要求も厳しくなって、それに伴う支出の増加と作業能率の低下に苦しむようになった。

 もっとも山村に対する貢献度は大で、2300カ所を超える担当区事務所(森林官の駐在所)、350の営林署は山村の雇用(請負事業も含む)と地域経済におおきく寄与していた。

 しかしながら1971(昭和46)年以降、明治・大正期に造林された優良な人工林は少なくなり、加えて自然保護運動の高まりで1カ所当たりの皆伐面積の縮小、奥地の原生的な天然林の伐採は大幅に制限され、収穫量は急激に減少した。収入不足によって1976(昭和51)年度以降は借入金(財政投融資資金)を導入するようになった。

 ここがターニングポイントだった。一般会計化して政治レベルで環境庁(現環境省)に移管するような提案もあったようだが、平たく言えば官僚の縄張り争いで実現しなかった。財政投融資資金は当時の郵便貯金を財源とするもので大蔵省が年8%の高利で貸し付けており、行き場のなかった当資金が国有林に押し付けられたとも言われていた。

 これらの諸対応によって、農林省は国土の20%の国有林を確保し、林野庁は融通の利く特別会計制度を維持でき、労働組合は3公社5現業並みの権利を維持し、消費者金融のような大蔵省は貸付先を確保して、同床異夢ながら官庁間ではめでたく収まった。

 しかし、当座しのぎの解決策は巨大な借金地獄と化して、累積債務は1998(平成10)年には約3.8兆円という途方もない額に達してしまった。林業という利益の薄い事業において、このような超巨額の債務が生じたことは政治家や行政官庁の無策と場当たり的対応、根本的解決を先延ばしした結果であった。膨らんだ累積債務のうち2.8兆円が一般会計(国税)で、1兆円(その後1兆2,796億円まで増加)が利子補給を受けつつ木材販売代金等で50年かけて返済されることになった。

 2013(平成25)年に至ってようやく国有林野事業は一般会計化されたが、2022(令和4)年度末で1兆125億円の債務を残し、2048(令和30)年度末までに林産物収入等により償還することとなっている。このことは未だ国有林経営に対する足枷となっているだけでなく、林業全体さらには国民生活にも及ぶ災厄の恐れをはらんでいる。

 次回以降、このように膨らむ債務を孕みながら、環境問題、林業振興、山村活性化、労働条件の改善などさまざまな角度からもたらされる社会的要請・政治情勢に対応し、多くの功罪を残した有様を紹介できればと思っている。たかがマイナーな林業界のしかも今では絶滅した国営企業の足跡であるが、他山の石としてもらえる要素を含んでいると確信している 。

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