世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2014年2月24日

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 中国と米国の環境問題への取り組みの大きな違いは、透明性、当局の説明責任、法の支配の有無、トップダウン方式かボトムアップ方式か、であるが、中国においても環境NGOが発達しており、民衆のボトムアップ型の圧力も強まっている、と米外交評議会のエリザベス・エコノミー上席研究員が1月12日付Diplomat誌ウェブサイトで指摘しています。

 すなわち、多くの専門家や評論家が、中国は、米国が1960年代から70年代に経験した転換点に達しつつある、と見ている。当時の米国では、収入の増加、市民の意識の高まり、政策のプライオリティの変化が組み合わさって、発展と環境の関係への理解が急速に変化していた。中国の当局者も、今日の中国と、工業化の過程にあった時代の他の国を比較したがる。北京の環境保護局のWang Bin は、「ロンドンの大気汚染は“霧の都”と呼ばれるほど酷かったが、現在はすっかり改善されている。北京の汚染はそれほど深刻ではなく、我々は、この問題に、既に迅速に取り組んでいる」と言っている。

 しかし、20年間にわたり、中国の環境について考え、記述してきた結果、私(エコノミー)は、こういう比較は、全く間違いではないにしても、ミスリーディングであると考えるに至った。中国が今日直面している環境問題は、1960年代、70年代の米国のそれとは、規模や範囲が全く異なる。例えば、環境や資源に与える人口の圧力は、全く規模が違う。

 さらに、米国と異なり、中国の環境の悪化や汚染は、単に急速な経済成長の結果というだけではなく、数百年、ときには2000年も続いている。鄧小平が1970年代から1980年代初頭に、今日の経済的奇跡に繋がる経済改革を始めた時点で、中国は既に環境破壊に直面していた。1960年代に中国の環境保護当局の初代局長を務めたQu Geping は、1999年の著書“Environmental Management in China”の中で、 スモッグ、汚水、投棄物、生態系の破壊などといった、自然環境の酷い破壊が当時から存在したことを指摘している。

 さらに重要なことは、米中の環境保護への取り組みが、決定的に異なるということである。中国も、米国と同様、1972年の国連人間環境会議を受けて、環境についての組織や法律を数多く作り始めた。しかし、米国の環境保護の大黒柱となった、透明性、当局の説明責任、法の支配を、中国は避け続けている。例えば、2006年の土壌汚染のサーベイを、北京は、国家機密として、公開することを拒否した。中国は、環境訴訟の数を減らすために、司法制度へのアクセスを統制しているし、公衆が環境問題に関する議論や政策決定の過程に参加できるような、組織化された手段をほとんど提供していない。

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