ブラインドサッカー
代表デビュー戦でゴール
恐怖心を乗り越えて

川村怜さん (アクサ生命)


大元よしき (たいげん・よしき)  ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

世界最高峰の障害者スポーツ大会『パラリンピック』を目指すアスリートたちの「乗り越えてきた壁」に焦点を当て、スポーツの価値や意義を問うと共に障害者アスリートを取り巻く環境について取材していく。

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「凄い!」初めて試合を見た川村怜はあまりの衝撃に目を疑った。

 「アイマスクを付けて見えていないはずなのにドリブルでディフェンスをかわし、キーパーと駆け引きをしてシュートを決める。そんなシーンを初めて見たときに、あまりの凄さに驚きましたし、感動したんです。その衝撃的なプレーを見せてくれた選手が、当時の日本代表の田村友一さんです。その方は大学の先輩で国内トップクラスの選手なんです。僕は田村さんのプレーを見てすっかりブラインドサッカーに魅了されました」

 田村は川村よりも6歳上の筑波技術大の卒業生だった。この田村との出会いが川村の人生を変えた。

 「田村さんのプレーは異次元でした(笑)。あの感動がなければ、いま僕は日本代表にはなっていないと思います。自分も田村さんみたいになりたいという憧れをいだきました。僕と同じような感動を僕のプレーでも感じてほしいと思うようになったのです。それが大学1年生の夏でした。春に入部して、アイマスクの体験もしていたのですが、つけると怖くて一歩も動けなかったので、フットサルをやっていたんです。でもその試合で強い刺激を受けて、田村さんに憧れてからは変わりました。これが僕の人生を大きく変えた分岐点です」

 人は外部からの情報を視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の五感としてインプットしながら日々生活をしている。中でも80%以上の情報を視覚から得ていると言われている。

 この圧倒的な視覚情報をアイマスクで遮断して行われるのがブラインドサッカーだ。

アイマスクをつけて行う、ブラインドサッカーとは…(提供:日本ブラインドサッカー協会、以下プレー中の写真は同)

大好きなサッカーは断念、中学は陸上部に

 ブラインドサッカー、川村怜さん。大阪生まれ。

 川村は高校ラグビーのメッカ東大阪市に生まれ、両親と川村の3人家族で育った。

 5歳の頃に目の病気である「ブドウ膜炎」が見つかり、7歳のときに自宅近くの公園で頭部を強く打ったことがキッカケで症状が悪化し視力が急激に低下した。

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「障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた」

著者

大元よしき(たいげん・よしき)

ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

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