「凄い!」初めて試合を見た川村怜はあまりの衝撃に目を疑った。
「アイマスクを付けて見えていないはずなのにドリブルでディフェンスをかわし、キーパーと駆け引きをしてシュートを決める。そんなシーンを初めて見たときに、あまりの凄さに驚きましたし、感動したんです。その衝撃的なプレーを見せてくれた選手が、当時の日本代表の田村友一さんです。その方は大学の先輩で国内トップクラスの選手なんです。僕は田村さんのプレーを見てすっかりブラインドサッカーに魅了されました」
田村は川村よりも6歳上の筑波技術大の卒業生だった。この田村との出会いが川村の人生を変えた。
「田村さんのプレーは異次元でした(笑)。あの感動がなければ、いま僕は日本代表にはなっていないと思います。自分も田村さんみたいになりたいという憧れをいだきました。僕と同じような感動を僕のプレーでも感じてほしいと思うようになったのです。それが大学1年生の夏でした。春に入部して、アイマスクの体験もしていたのですが、つけると怖くて一歩も動けなかったので、フットサルをやっていたんです。でもその試合で強い刺激を受けて、田村さんに憧れてからは変わりました。これが僕の人生を大きく変えた分岐点です」
人は外部からの情報を視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の五感としてインプットしながら日々生活をしている。中でも80%以上の情報を視覚から得ていると言われている。
この圧倒的な視覚情報をアイマスクで遮断して行われるのがブラインドサッカーだ。
大好きなサッカーは断念、中学は陸上部に
ブラインドサッカー、川村怜さん。大阪生まれ。
川村は高校ラグビーのメッカ東大阪市に生まれ、両親と川村の3人家族で育った。
5歳の頃に目の病気である「ブドウ膜炎」が見つかり、7歳のときに自宅近くの公園で頭部を強く打ったことがキッカケで症状が悪化し視力が急激に低下した。