研究と本とわたし

2014年6月16日

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木村克彦 (きむら・かつひこ)

フリー編集者・ライター

1957年、東京都生まれ。フリー編集者・ライター。この数年は精神医学と市民をつなぐ媒体づくりにも力を注いでいる。関連する編書に『うつにサヨナラ』、『脳とこころ』(ともに小学館)などがある。

──火山学・岩石学の第一人者として研究活動を続けていらっしゃいますが、科学への関心は、いつごろ芽生えたのでしょうか。

藤井敏嗣(以下、藤井)氏:改めて振り返ってみると、少年時代でしょうか。ちょうどスプートニク計画の時代。旧ソ連が人類初の無人人工衛星を打ち上げ(1957年)、当時私は小学校高学年でしたが、新聞の号外がクラスで配られた記憶があります。旧ソ連に遅れをとったアメリカでは“スプートニク・ショック”になりました。「宇宙」が、にわかに大きな話題となった時代でしたね。

藤井敏嗣氏(撮影:書籍部)

 それから、日本の初めての南極越冬隊も同じ頃の出来事ですね。南極観測船・宗谷が日本を発つときから頻繁にニュースが流れるようになり、当時、わたしは越冬隊に関する新聞記事の切り抜きをしていて、それがずいぶんたまったという記憶もあります。

 サイエンスに対するつよい関心は、そうした出来事を通して醸成されていったのだと思います。

 わたしは福岡県・田川で育ち、じつは、最大の興味は蝶の採集にあったのです。ただ、漠然と、サイエンスをやりたいという気持ちを抱いていたように思います。具体的にどの分野なのか、それははっきりしていませんでしたが。

 高校では物理部に入りましたが、ほとんどラジオづくり。ちょうどNHK福岡放送局のFM放送実用化試験局が開局し、その試験放送を受信するためのラジオづくりに熱中していましたね。

──その後東京大学理学部に進学されますが、地質学の道へ進まれたのはどうしてでしょう。

藤井氏:わたしの父は田川の炭鉱会社に勤務していたのですが、本店の地質部に異動になった翌年──わたしが大学1年生のときに脳卒中で急逝してしまったのです。地質部の方々がたいへん心配してくれて、就職はこっちへ来いと言ってくれたり……。そんな出来事も、進路に影響を与えたのかもしれません。

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