【開業50周年記念】 My Memories of the 東海道新幹線

2014年8月15日

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菅谷淳夫 (すがや・あつお)

フリーライター

フリーライター。1965年生まれ。人物インタビュー、美術、旅、鉄道、評伝など幅広い分野の記事を執筆。

 2014年春。西へとひた走る東海道新幹線「のぞみ」の車内通路を、年配の男性が歩いていた。車両は、N700系。男性は自分の歩みを確かめるように、しっかりと足を踏みしめる。やがて立ち止まり、心のなかでつぶやいた。

 「ここまで揺れが少ない車両ができたのか」

 その顔には、いつしか満足げな微笑みが浮かんでいた。

 男性の名は、岩井仁さん(77)という。東京大田区蒲田で、金属加工の町工場を営む職人だ。実は岩井さんは、新幹線の車体を制御する装置のシリンダーを、ほぼ25年にわたって作ってきた。発端を本人はこう説明する。

 「300系で走行速度があがったでしょ。新規に設計された揺れを制御する装置に、精密なシリンダーが必要となった。それで、私のところまでお鉢が回ってきたんです」

京急蒲田駅の近くにある岩井製作所。社員は77歳の岩井さんただ一人

きしめん食べに名古屋まで

 新型車両に必要なシリンダーは数百本という単位でオーダーされた。大手メーカーが引き受けて割のあう数字ではない。それが岩井さんのような、一人でものづくりをする職人に依頼がきた理由でもあった。

 以来、500系、そして700系と東海道新幹線を走る数多くの車両に、岩井さんが作った部品が使われてきた。車両が改良されるたびに、シリンダーの設計も少しずつ変わる。そのつど岩井さんは、自分の仕事を確認するため、自前で運賃を払って乗り心地を試しに行った。冒頭に記したように、基本的に車内の通路を数両分歩く。他に用事がないので、ただ東京から名古屋まで行き、駅できしめんを食べて帰るだけだ。

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