チャイナ・ウォッチャーの視点

2014年7月15日

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小原凡司 (おはら・ぼんじ)

東京財団研究員・元駐中国防衛駐在官

1963年生まれ。85年防衛大学校卒業、98年筑波大学大学院修士課程修了。駐中国防衛駐在官(海軍武官)、防衛省海上幕僚監部情報班長、海上自衛隊第21航空隊司令などを歴任。IHS Jane’sを経て、13年1月より現職。

 2014年6月30日、中国のメディアは、中国共産党中央政治局が、元中央軍事委員会副主席の徐才厚上将の党籍剥奪の処分を決定したと報じた。決定では徐才厚上将に汚職など「重大な規律違反」があったとし、この案件は既に司法機関に送られたという。今後、軍法会議において訴追されるということだ。

党籍剥奪の処分決定が報じられた徐才厚
(写真:ロイター/アフロ)

 徐才厚事案もいよいよ大詰めといったところである。徐才厚は、江沢民に抜擢され、胡錦濤政権時代も江沢民の庇護の下でその影響力を行使し続けた。胡錦濤は2002年11月の第16回党大会で党総書記となったものの、江沢民が党中央軍事委員会主席の座を手放さず、徐才厚は第16期1中全会で党中央軍事委員会委員及び党中央書記処書記に選出され、総政治部主任に昇進した。

 総政治部主任という職は、全ての人民解放軍将校の人事に関与する立場である。徐才厚は、人民解放軍の人事を握ることによって、江沢民の影響力の基盤を提供していたとも言える。さらに、2004年9月の第16期4中全会において胡錦濤が党中央軍事委員会主席となっても、自身は同委員会副主席となって、人民解放軍ににらみをきかせ続けた。

 徐才厚は、2012年11月の党大会で、ようやく党中央軍事委員会副主席の職から退いた。表向きは正常な退官であったが、中国では、彼が既に拘束されて事情聴取を受けていたと言われていた。徐才厚の愛人は、それこそ、有名な話であったので、今更、愛人問題で失脚した訳ではないことは周知だった。江沢民派排除の動きは、胡錦濤から習近平に権力が移譲される中で既に始まっていたのだ。制服組のトップである徐才厚の排除は、その象徴である。

胡錦濤が目指した「制度化」

 胡錦濤は、最後まで江沢民の影響力から逃れることができなかった。しかし、胡錦濤は、江沢民の影響力の下でも改革を進めようとしていた。その内のひとつが、江沢民が進めた「反日愛国主義教育」の行き過ぎの是正である。

 胡錦濤は、江沢民が中国全国に建設した「愛国主義教育基地」の数をさらに増やしている。と言うと、反日教育をさらに推し進めたように見えるが、胡錦濤が建設した「愛国主義教育基地」には抗日戦争に無関係のものが多く含まれていた。例えば、人民解放軍が農民のために建設した用水路等である。胡錦濤は、愛国主義教育に占める「反日」の濃度を薄め、「愛国主義=反日」の構図を変えようとしたのだ。

 さらに、人民解放軍の汚職を減少させるために、装備品の中央調達化も進めようとした。胡錦濤が進めようとしたのは制度化である。鄧小平が開始し、江沢民が逆行させた制度化を、忠実に進めようとしたのだ。しかし、胡錦濤の制度化には限界があった。

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