北京オリンピック
ソフトボール金メダリスト
全力でプレーできない葛藤を乗り越えて

西山麗さん(日立製作所)


大元よしき (たいげん・よしき)  ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

世界最高峰の障害者スポーツ大会『パラリンピック』を目指すアスリートたちの「乗り越えてきた壁」に焦点を当て、スポーツの価値や意義を問うと共に障害者アスリートを取り巻く環境について取材していく。

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「オリンピックはアジア大会や世界選手権大会とは全然違いました」

 「2006年の世界選手権と北京オリンピックは同じ会場です。でも、同じじゃなかった。場所も雰囲気も慣れていると思っていたのに、オリンピックの初戦であの場に立ったときの緊張度がまったく違っていたんです」

 幾多のアスリートが同じような経験を口にする。

 そこは観客席から見えている空間とはまったく異なる、選ばれし者たちだけが知る世界なのだろう。西山麗もまた「魔物」と「神」が同居する特別な時間と空間を味わったひとりだ。

 西山はこう振り返る。

 「緊張やプレッシャーを感じるよりもわくわくするタイプの自分があれほど緊張するんですから、オリンピックだけは他の国際大会とはまったく違うと感じました。決勝戦の最終回でピッチャーが投球練習しているあの時間は特に緊張していましたね。感覚的にはいま自分がどこにいるのかさえもわからない。ぽつんとひとりだけ立っているような気がしていました。音がまったく聞こえなくて、完全に自分だけの世界に入っているような感覚でした」

 ただそれも投球練習までのことだった。

 プレーが始まってしまえば、その感覚は世界の頂点へ駆け上がるための集中力へと変わっていった。

西山麗選手

全力を出せないという葛藤

 西山麗。神奈川県横須賀市に生まれる。 

 「赤ちゃんの時に受けた健診で心臓に重い障害があることがわかりました。私には兄が2人いるのですが、両親にとっては初めての女の子だったのでかなりショックを受けたようです」

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「障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた」

著者

大元よしき(たいげん・よしき)

ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

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