WEDGE REPORT

2014年10月31日

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あの大震災と原発事故から3年半。福島県知事選も終わり、浜通りは4度目の冬を迎えます。通い続ける取材班が見て聞いた、「3年半」の現実をお伝えします。

 「賠償御殿」─。そんな言葉をよく耳にした。人口30万人の福島県いわき市には、双葉郡から2.4万人の避難者がやってきた。道路も病院も混雑し、アパートを借りるのもままならない。高まるストレスは、否応なしに賠償金の存在に意識を向けさせる。

 「仕事がある自分は仮設住宅。妻と子どもは避難先。事故前に同居していた両親は別の借り上げ住宅。バラバラを解消したいと、いわき市に家を建てたら、隣の老人にこう言われた。お金をいっぱいもらってるんだろって。悔しくて悔しくて」(30代のある男性)

3年半放置された双葉町。道路から生えた草の背が高い(撮影・編集部)

 事故から3年半。今回の取材で最も話題に上ったのが賠償金を巡る軋轢である。昨年まではそれよりも除染の進捗や低線量被ばくだった印象が強い。「金の話はしたくない。そういう人も、最後はやっぱり金の話になる。みんな心のどこかで賠償金が引っかかっている」男性はそう語る。

 「いわきとして、避難者の方々にウェルカムというメッセージを発信することなく3年半が経ってしまった。同じ住民として軋轢を乗り越えていけない。でも、現地の人間では買えないような大きな家が建つのを見ると、『賠償御殿』と言いたくなる気持ちは理解できるところもある」。いわき市で生まれ育ったある男性は偽らざる本音を語ってくれた。

 賠償金があるから働かず、パチンコに入り浸り、高級車を乗り回す─。事故直後からこの類の話はあふれている。双葉町出身のある男性は、「そんな人はもちろんいるが、ごく一部。偏った報道はして欲しくない」と吐き捨てて、こう続けた。

 「大多数のまっとうな避難者は、事故への憤り、やるせなさを賠償金でギリギリ抑えている状態。なのに、仕事を再開しても家を建てても、そうやって前に進もうとすれば、必ず賠償金の存在がついて回って、後ろ向きな評価になるのが辛い」

 避難先で馴染めず、いじめを受ける子どもたちは少なくない。小学校や幼稚園で、住民と避難者の母親同士が距離を取りあう例も散見されるという。多くの親たちが「双葉郡から来たとは言えない」「仕事の場でもなるべく出身は言わない」と口を揃える。賠償金のことを探られたくないからだ。

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