自分の「居場所」となったクライミング
だが、そんな小林に突如転機が訪れた。
「高校2年生の時でした。たまたま本屋さんで『山と溪谷』という雑誌を手に取って『アメリカから入ってきた新しいスポーツ フリークライミングをはじめよう』という特集記事を読んだことがキッカケです。これなら勝ち負けがないし、誰かの足を引っ張ることも、体格差も関係ないと考えてやってみようと思ったのです。これが人生を変える最初の転機になりました」
それまでは身体が小さいことや勉強嫌い、運動が苦手、さらには頑張れない自分に対してコンプレックスを抱えながら生きてきた。小林自身、それまでの自分を肯定していたわけではなかった。自分にも何か夢中になれるものが欲しいと心の奥深いところで渇望してきたのだ。
その心が目覚めた。
すぐに特集記事の中にあったクライミングスクールに電話を入れた。
クライマー人生のスタートは長野県の川上村、クライマーたちが『小川山(おがわやま)』と呼ぶ岩場だった。
周りは大人ばかりで高校生は小林ひとりだったが、その空間は居心地が良かった。安全ベルトを付けロープを結ばれて「じぁあここだから」と指された岩場を登っていった。
自然の中で、自然の岩を相手に、自然の中で時間を過ごすことに小林は大きな魅力を感じた。
その当時高校生にとってフリークライミングは身近なスポーツではなかったでしょう?という質問に「僕にとってはサッカーやバスケットボール、ラグビーや柔道といういわゆる学校の部活にあるスポーツの方がはるかに遠い存在でした。自分には無理だし、関係ないものと思っていましたから。『山と溪谷』だって高校3年生の時だったら、見過ごしていたり、違った感じ方をしたかもしれません。何事もタイミングってありますよね」と返ってきた。
哲学者であり教育者である森信三氏の言葉に「人生、出会うべき人には必ず出会う。しかも、一瞬遅からず、早からず。しかし、内に求める心なくば、眼前にその人ありといえども縁は生じず」という言葉があるが、まさにそうした縁のもとで結ばれたのだろう。
小林にとってクライミングはスポーツといった感覚ではなく、自分の居場所そのものだったのかもしれない。