和歌山県北東部に位置する高野山は、平安初期の僧、空海によって開かれた、日本仏教の一大聖地です。弘仁7年(816)、空海は嵯峨天皇に願い、高野山を賜り、七里四方に結界しました。空海は、なぜ1000メートル級の峰々に取り囲まれた山上盆地に、密教修禅の道場を開いたのでしょうか。日本仏教史の研究者、西山厚さんとともに、開創から1200年を迎える聖地高野山をめぐり、空海の祈りの心を探ります。
いよいよ高野山に登り、空海がつくりあげた真言密教の根本道場へ。霊宝館の密教美術や壇上伽藍の配置から、稀代の天才の心に迫ります。
高野山は奇蹟の森
車はさらに急勾配になった山道を上がってゆく。やがて、出会い頭にも近い感覚で、高野山の堂々たる大門(だいもん)が姿を現す。はるばる町石道を上がった古人(いにしえびと)は、巨大な仁王が守るこの大門に、思わず手を合わせたことだろう。
山上盆地の西端にそびえる大門は一山の総門で、宝永2年(1705)の再建
「高野山は、標高800~900メートルの山上に開けた盆地に、117のお寺が密集しています。今向かっている金剛峯寺は、本来はその全体を指す名称でした」
西山さんの説明に、高野山のスケール感をうっすらと感じ取る。