理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(理研CDB)の解体、小保方晴子氏の退職、そして野依良治理事長の退任。これでSTAP細胞をめぐる一連の騒動に、幕がおろされた。
しかし、この間に本質的な問題がしっかり議論されたのかといえば、首を傾げざるを得ない。トカゲのシッポ切りと、看板の架け替えが、またも繰り返されただけのように思われるのだ。
議論されるべき問題はいくつもあるが、私自身は当初から、理研の広報とマスメディアの報道に疑問を投げかけてきた。
理研の発表を鵜呑みにし、「リケジョ(理系女子)の星」などと面白おかしく祭り上げた新聞。再生医療への応用やノーベル賞受賞が目前であるかのような解説をしたテレビ局。科学的根拠の乏しい無責任な報道に、耳を疑ったものだ。
iPS細胞を樹立した山中伸弥教授がノーベル賞を受賞したことで、再生医療への応用、ひいては、日本経済の活性化につながるという期待感や思惑が異常なまでに盛り上がっていたのは、事実だ。その熱狂を燃料にして、炎がたちまち燃え広がったともいえる。
しかし、本書でも指摘されているように、山中教授の受賞からSTAP細胞論文の発表会見までの間には、「iPS細胞を用いた世界初の臨床試験」という誤報事件があった。
この誤報に私は衝撃を受け、科学報道のあり方への警鐘ととらえた。著者も、「性急な成果を望む関係各界に対する警告だと受けとめるべきだった」と指摘する。
にもかかわらず、小手先の検証で終えてしまったことが、次に続くSTAP細胞狂想曲を引き起こしたのではないか。一連のSTAP論文報道について、各メディアは今度こそ自省し、検証すべきである、と私は考える。
政治的批判や不正の非難・追求と
科学面の批判は別の問題
本書では、長年、生命倫理の研究と政策論議に携わってきた著者が、STAP細胞騒動をはじめとする現代科学と社会の諸問題を、より深く、広い視野から論じている。
「この問題は、もっと根本的な、科学と社会の関係のあり方について考えるきっかけにすべきだ」。そう著者は提起し、それぞれの立場で何が問題だったのか、どうすればよりよい科学研究者に、あるいは「科学のパトロン」になれるのかを思索する。