東京電力福島第一原子力発電所の事故から5年が経とうとしている。これまでの政策措置は、事故後のパニックが収まっていない中、冷静な情報やデータ収集とそれらに基づいた費用対効果分析をする暇もなく、その場の空気を支配した感情的な反発や突き上げにさらされて、政治的な判断で執られたものも多い。
当時の政府関係者や政治家によれば、時間が切迫する中で次々と決定された政策措置は、当面5年程度を念頭に置いていたという。5年経てば、事故の収束や放射能汚染、避難状況等について、事態を冷静に分析できる状況になっているだろうから、その時点で再検討を加えると考えていたわけだ。
つまり、2016年3月が政策措置の一つの区切りとなる。また、政府は17年3月には現行の居住制限区域や避難指示解除準備区域への避難指示を解除する方針だ。16年度は、これまでの政策の評価・反省を踏まえて、避難指示解除以降(17年度以降)の政策のあり方について抜本的な検討を行う極めて重要なタイミングとなる。
これまでの政策措置の基礎となっているのが、11年12月に原子力災害対策本部が決定した「警戒区域及び避難指示区域の見直しに関する基本的考え方」である。5年間経過してなお年間20mSv(ミリシーベルト)を下回らないおそれのある地域(当時年間50mSv超のエリア)を帰還困難区域と定義し、少なくとも5年間は居住を制限するとした(福島復興についての方針はその後何度か更新されているが、大枠は変更されていない)。
この基本方針では、帰還困難区域に設定される地域に関しても全ての住民の帰還の可能性を排除しない書きぶりとなっている。事故直後の時点で早々と「帰還を目標としない」などと明言することは、地元との関係で政治的に困難であり、また、「もう福島には住めない」といった風評被害につながることを懸念したためだ。
一方で、当時の関係者は、事故後5年経過した後、放射能汚染の自然減衰の効果も見極めたうえで改めて冷静に議論し、帰還困難区域の取扱いを決めていくともしていた。すなわち、事故後5年の再検討の時点では、放射能汚染の状況や個々の避難住民の選択によって、帰還を断念する区域が残る可能性を排除していなかったのだ。
まさにその「事故後5年」がそろそろ経過するタイミングとなっている。