ルワンダを初めて訪問した時にルワンダ人の友人が「虐殺記念館」に私を連れて行った。記念館は我々日本人の感性から云えば気持ちが悪くなるほどの虐殺写真の陳列がなされてあった。記念館の案内人によると1994年4月6日に発生した大統領暗殺から約100日の間にフツ系の過激派によって約100万人のツチ族が虐殺されたと説明を受けた。ルワンダの友人は吐き捨てる様にこう云った。「大虐殺の張本人はベルギー人だ」と。
ジェノサイドの真実
ウィキペディアによると「ルワンダ虐殺は部族対立の観点のみから語られることがあるが、ここに至るまでには多岐に渡る要因があった。まず、フツとツチという両民族に関しても、この2つの民族はもともと同一の由来を持ち、その境界が甚だ曖昧であったものを、ベルギー植民地時代に完全に異なった民族として隔てられたことが明らかとなっている。
また、民族の対立要因に関しても、歴史的要因のほかに1980年代後半の経済状況悪化による若者の失業率増加、人口の増加による土地をめぐっての対立、食料の不足、90年代初頭のルワンダ愛国戦線侵攻を受けたハビャリマナ政権によるツチ敵視の政策、ルワンダ愛国戦線に大きく譲歩した1993年8月のアルーシャ協定により自身らの地位に危機感を抱いたフツ過激派の存在、一般人の識字率の低さに由来する権力への盲追的傾向などが挙げられる。
さらに、国連や世界各国の消極的な態度や状況分析の失敗、ルワンダ宗教界による虐殺への関与があったことが知られている」といった説明がある。ようするに植民地支配をしたベルギー人はルワンダのフツ族とツチ族が憎み合うシステムを構築したのである。
当時、なぜかベルギーも世界の警察であるアメリカも大虐殺が発生することが分かっていて止めなかった。わずか、21年前の事件に対して今のルワンダ人は過去の悲劇を忘れる努力をしているというが、やはり日本人の感覚からすると、綺麗ごとに聞こえる。私にはトイレにこびり付いた糞尿のような拭いきれない記憶として沈殿しているような気がする。事実、ルワンダ人のツチ族の友人は今でも悪夢に目が覚めることがあると云っていた。
ルワンダ人の友人が
アメリカ軍の原爆投下について聞いてきた
アメリカが太平洋戦争で原子爆弾を広島と長崎に投下した事実について聞かれてどう答えてよいのか分からなかった。私自身は戦争の話題や質問に対しては嫌悪感が先に立つのであまり話したくないほうである。
実は原爆で広島では20万人、長崎では10万人が被害を受けて死んでいるのが事実である。東京大空襲では10万人の死者が出ている。太平洋戦争の日本人の死者は軍人が230万人、一般人が80万人死亡している。合計日本人の310万人が被害を受けているのだ。
私自身はそんな話を得意になって話せば話すほど気分が悪くなってくるから過去のアメリカや連合軍の「原爆投下の非人道的な罪」を問題視することは止めて「水に流して」しまいたいタイプの日本人である。そんな日本人の僕がルワンダの大虐殺を他人事として処理できなかったのはある理由があった。アウシュビッツ平和博物館が差別と迫害と全ての戦争犯罪を象徴する場所であるならば、ルワンダの虐殺記念館は国連や世界各国(特にベルギーとアメリカ)の積極的無関心とその結果としての「為さざる罪」を象徴する場所であると感じたからだ。
戦争犯罪は殺戮行為の結果の死者の数が何を示すのかは分からないが、アウシュビッツ収容所の約3倍の効率でジェノサイドが起こったルワンダの悲劇を忘れてはならない。