2015年度の12月に日本アフリカ友好議員連盟のミッションの一員としてジブチ、エチオピアに次いでルワンダを訪問した。主な訪問目的はコンフリクトミネラル(紛争鉱物)の鉱山見学と契約交渉である。コンフリクトミネラルとはタンタル、タングステン、錫(ティン)のことである。
同時にJICAと経産省の協力を得て首都キガリで鉱業セミナーを開催する運びとなった。その話の前に簡単にルワンダという国家についての簡単な紹介をしてみたい。
ルワンダとはどんな国なのか?
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ルワンダは中部アフリカに位置する共和制国家で内陸国である。西にコンゴ民主共和国、北にウガンダ、東にタンザニア、南にブルンジと国境を接する。歴史を見るとドイツやベルギーの植民地時代から1962年に独立をするが1990年以降はルワンダ紛争のために混乱状態が続いた。
1994年のフツとツチの民族間の大虐殺の悲劇の歴史を乗り越え、現在は「アフリカの奇跡」と呼ばれるほどの経済発展を示している国家である。
国土は四国の1.5倍ほどしかない小国でアフリカでは最も人口密度が高い国家でルワンダ経済における鉱山関連のシェアは34%と一次産業の中では最大である。
コンゴ民主共和国とルワンダとの違いはなにか?
アフリカの最大の資源国家といえばルワンダの隣国コンゴ民主共和国である。コンゴ民主共和国は世界最大のカッパ―ベルトを擁し、そのとてつもない資源のために宗主国(ベルギーやフランス)からの資源収奪が繰り返されてきたと言っても過言ではない。
彼らは常に紛争を起すことでコンゴの部族間の団結を阻害し、植民地としての支配を強化させることを繰り返してきた。コンゴは1960年6月30日にベルギーからの独立を果たすが、その後のコンゴ動乱から混乱は収まらず、第1次シャバ紛争、第2次シャバ紛争、そして1998年の第2次コンゴ戦争へと発展し、21世紀に入ってからも混乱の極みで、未だに東コンゴの地域には国連軍が介入するなど、状況は好転していない。
一方、ルワンダも1990年から1993年にルワンダ紛争(ルワンダ大虐殺は1994年)が起こるが、混乱期に海外に逃れたルワンダ人はわずか20年の間に本国に戻って経済発展に寄与し、この10年で経済成長率は年平均8%を実現しており、アフリカの中では最も成長率が好調な国家である。
ルワンダはコンゴと違って小さな国だから、内乱状態が収まれば政治的にも経済的にも統治はしやすいのである。ルワンダの経済発展はカガメ大統領の政治手腕による部分が大きいように思われる。
半世紀前の独立前後から海外に亡命していた一部のルワンダ人を「ディアスポラ」(離散者)と呼ぶが、彼らは海外で教育を受け、資本を本国に呼び込み、優秀なビジネスマンに変貌した。この10数年の間に約200万人のディアスポラたちの半数が祖国ルワンダに戻り経済活動の中核を担っている。これらの優秀な人材をカガメ大統領はルワンダの復興に登用しているのである。カガメ大統領自身もディアスポラであることは言うまでもない。