「ひととき」特別企画

2016年5月3日

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薫風かぐわしい葉山に、訪れる人の五感を潤す山口蓬春記念館がある。戦後の日本画壇に輝く数々の作品はここで生まれた─。

茶の間で寛ぐ蓬春と愛犬チロを抱く春子夫人。
(写真提供・山口蓬春記念館)

 日本画家・山口蓬春(ほうしゅん)は、父親の仕事の関係から明治26年(1893)に北海道の松前で生まれた。

 幼いころに東京に移住し、その後、東京美術学校(現東京藝術大学)で日本画を学び、松岡映丘(えいきゅう)に師事した。大正15年(1926)の第七回帝国美術院展覧会(帝展)に出品した「三熊野(みくまの)の那智の御山(みやま)」で、蓬春は古来のやまと絵の精神を現代的にとらえ直し、その優れた出来栄えから特選を獲得、帝国美術院賞を受賞した。作品は皇室に買い上げられ、高い評価を得ている。

 戦前には、日本画家の福田平八郎や洋画家の牧野虎雄らと絵画グループ六潮会(りくちょうかい)を結成し、ともに美的感性を磨きつつ研鑽を積んでいった。戦中の戦争記録画の制作をはさんで、戦後は、しゃれた瑞々しい感覚に溢れた表現が彼の芸術の特色となっていく。そこには、神奈川県葉山町への移転という大きな要因があった。

葉山で花開いた蓬春モダニズム

端正に整えられた枯山水の北庭は、数寄屋造りの画室と美しい調和をみせる。

 蓬春は、昭和20年(1945)4月に世田谷の住居を手放し、山形県東置賜(ひがしおきたま)郡赤湯(あかゆ)町(現南陽市・上山市)に疎開した。敗戦後は、疎開先から昭和22年1月中旬にまず葉山町堀内に仮住まいし、約一年のちの昭和23年3月16日、葉山町大字一色(いっしき)字三ヶ岡(さんがおか)2320番地(当時)に移り住んでいる。

 北国の赤湯町から葉山という湘南の地に移ったことは、戦中から敗戦、戦後といった激動の時代の流れのなかで、蓬春自身の創作活動に大きな変化をもたらした。若い頃から勉強熱心で、古今東西の書籍や絵画作品などを収集しながら自分の創作活動の糧となすことに熱心だった蓬春は、戦後になって葉山に移ってからもその姿勢を変えることはなかった。そして当時、発表された明るく平明な色彩と簡潔な形態が特色といえるフランスの画家アンリ・マティスの版画集『ジャズ』(昭和22年刊)などをいち早く取り寄せて、それを手本にしながら「搨上(とうじょう)の花」(昭和24年)や翌年の「夏の印象」など、戦後の平和な時代を告げる自由でおおらかな感覚に溢れた一連の現代的な絵画を見事に開花させた。

  蓬春にとって温暖で光に満ちた葉山の風土は、マティスの住む南仏の環境と重ね合わせられていたようだ。

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