オトナの教養 週末の一冊

2016年5月8日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

吉見 この新しい価値軸や目的を打ち出していくことを「イノベーション」や「クリエイティビティ」と言いますが、日本はなぜこれが出来なかったのか。それはこれまであまりにも目的に対する役立ちばかりを追求し、長い時間の中で価値軸そのものが変わるということをきちんと理解してこなかったからだと思います。

 高度経済成長の頃に私たちが当然だと思っていた価値と、現在の私たちが向かっている価値は違います。こうした変化は、歴史の中で常に起こっていて、19世紀初頭の人々と20世紀後半の人々が抱いている価値は全然違うわけですね。3年~5年では価値軸は変化しないかもしれませんが、30年~50年の単位で考えれば価値軸は必ず変化します。この変化は、絶対に理系だけでは認識できません。理系は「技術革新」を追求しますが、その根本の「概念の革新」は想像できないのです。

ーーこの価値軸の変化を捉えるためにはどういうことが必要なのでしょうか?

吉見 新しい価値軸を創りだすためには、現在人々が当たり前だと思っている価値軸を内側から批判出来ないといけない。当たり前にどっぷりと浸かっていたら、その自明性を超えることは出来ません。

 「当たり前」を内側から批判し、超えていくためには、本当は世界はこんなに広くて多様で、多元的であるということを認識できる知、つまり文系の知が必要なのです。たとえば政治学、経済学、社会学、人類学をはじめとする人文社会科学は、全て人々が当たり前だと思っていることに対し、長い歴史や様々な文化、様々な社会的価値の変化を見ることで、他の価値軸があることを教えてくれます。

 そう考えると人文社会系の知は、どちらかというと長期的に、理工系の知は文系に比べると短期的に役に立つ知であると言えます。

 その例が、ソニーがなぜアップルになれなかったのかという問題です。技術的には、ソニーはアイフォンを作れたはずです。しかし、ソニーが作ったウォークマンはステレオの概念を取っ払い、モバイルなステレオを創り出しました。イノベーティブでしたが、そこで終わった。一方のアップルが創り出したアイフォンが革新的だったのは、電話の概念そのものを変えたことです。その差は長期的な価値軸の変化を捉える文系的な知が、文理横断的にあったかどうかだと思います。

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