ひととき特集

2016年9月1日

 龍安寺石庭(りょうあんじせきてい)には、なぜ15の石が配されているのでしょうか─。数理工学者の合原一幸(あいはら・かずゆき)さん、作庭家の重森千靑(しげもり・ちさを)さん、禅学者の芳澤勝弘(よしざわ・かつひろ)さん、3人の碩学が縦横無尽に語り合います。

方丈正面から眺めた龍安寺石庭。横に真っ直ぐ筋が引かれた白砂に、左(東)から右(西)へ、5、2、3、2、3と、大小15の石が島のように配してある。また、よく見ると、右から左に向かってゆるやかに傾斜している

❖龍安寺
臨済宗妙心寺の塔頭寺院で、山号は大雲山。宝徳2(1450)年、徳大寺家の山荘を武将の細川勝元が譲り受け、妙心寺5世の義天玄承(ぎてんげんしょう)を招き創建。応仁の乱で焼失するも勝元の子の政元が再興。

❖石庭
龍安寺の方丈庭園。75坪の空間に白砂と5組15個の石が配された枯山水庭園で、作庭者や年代、意匠の意図が不明な「謎の庭」。作者は、鎌倉後期から室町前期の禅僧・夢窓国師、室町後期の画家・相阿弥、細川政元、石に名が刻まれていた小太郎・□二郎、江戸初期の茶人・金森宗和、小堀遠州などの説が、意図は、虎の子渡し、七五三、大海や雲海に浮かぶ島・霊峰、中国の五岳、禅の五山などの説がある。

胸中に丘壑あり

 ─石庭をご覧になって、いかがでしたでしょうか。

 合原 草や木があれば、時間とともに変化する庭になるけれど、その変化を排除したがゆえに永遠性が生まれていますよね。でも、庭を見ていた時にジャノメチョウが飛んできて石にとまったんです。すると、石庭とチョウの間に相互作用が生まれて、枯山水(かれさんすい)の空間が変化しました。とても強い印象を受けましたね。

 重森 いろいろな方を石庭へご案内するのですが、大半がよくわからないと言われます。石庭は作者も作庭意図も諸説ありますが、答えは一つではないと思いますし、年齢や時々の心情でも見え方は変わります。それはやはり、石と白砂しかないからこそですね。

 ─そもそも庭にはどんな種類があるのでしょうか。

 重森 大きく分けると、池のある池泉(ちせん)庭園、水を使わない枯山水庭園、お茶時(ちゃじ)をするための露地(ろじ)です。池泉庭園から発達して室町時代の後期に枯山水が登場、桃山時代には茶庭(ちゃにわ)の露地が生まれます。3つの庭に共通する表現は何かといえば、自然の美しさなんです。

退蔵院へ移動し、「瓢鮎図」の模本を見学。図の上部に高僧31人の賛(回答)が書かれている。副住職の松山大耕さん(右)に庭の話も伺った

 芳澤 「自然」は、禅宗では「山水」といい、とても大切にします。中国では山水を描く心得を「胸中(きょうちゅう)に丘壑あり」*1と教え、日本にも伝わりましたが、つまりは自然を描くことで内的世界を描く。それが山水画で、禅宗の広がりとともにたくさん描かれました。中でも典型的なのが退蔵院の「瓢鮎図(ひょうねんず)」*2です。

 この山水画を、さらに立体化したものが庭で、それを昔の言葉で「仮山水(かさんすい)」と言います。枯(かれ)ではなくて、仮。仮とは、「真(しん)」に対しての「仮(け)」です。真は、実在する事物。仮(け)は仮(かり)、実体がない。室町時代には仮山水を表現した詩や文章もたくさんありますよ。

*1 描く者の心の中に山水があるという考え方。写実的自然を超越した観念的自然

*2 室町幕府4代将軍足利義持の命により、禅僧如拙(じょせつ)が描いた山水画。国宝。瓢箪でナマズを押さえるという公案(禅問答)がテーマ

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