赤坂英一の野球丸

2016年8月17日

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赤坂英一 (あかさか・えいいち)

スポーツライター

1963年、広島県生まれ。86年に法政大学文学部卒業後、日刊現代に入社。88年より、スポーツ編集部でプロ野球取材を担当。同社勤務のかたわら週刊誌、月刊誌で、スポーツを中心に人物ノンフィクションを多数執筆してきた。最新刊『すごい!広島カープ 蘇る赤ヘル』(PHP文庫、『広島カープ論』増補改訂版)が重版出来で2万部突破。ノンフィクション『失われた甲子園記憶をなくしたエースと1989年の球児たち』(講談社)が第15回新潮ドキュメント賞にノミネートされた。ほかに『プロ野球「第二の人生」 輝きは一瞬、栄光の時間は瞬く間に過ぎ去っていった』(講談社)『最後のクジラ――大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生』(講談社)『プロ野球コンバート論』(PHP研究所)など。

 新井宏昌という名前は知らなくても、イチローが3000安打を達成するまで、連日NHK衛星放送のメジャーリーグ中継でフロリダ・マーリンズ戦を解説していた声を覚えているプロ野球ファンは少なくないはずだ。適確な分析と穏やかな語り口で大学教授を思わせるこの人物、実はイチローの〝専属打撃投手〟を務めていることはあまり知られていない。

メジャー3000安打を達成したイチロー(GettyIMages)

王貞治との会食でお願いしたこと

 きっかけは2014年1月、日本に帰国中のイチローが、王ソフトバンク球団会長に自主トレを見てもらっているときのことだった。場所はそのころ、イチローがシーズンオフのたびに使っていた古巣オリックスの施設で、元本拠地球場〈ほっともっと神戸〉の中にある室内練習場。そこに、練習場の近所に家のある新井さんが、イチローや王さんと旧交を温めるべく顔を出したところ、周囲の関係者に「ぜひ打撃投手をやってくださいよ」と勧められ、一肌脱ぐことになったのである。

 イチローと王会長とは2006年の第1回WBCで、イチローがジャパンの主力選手、王会長が監督を務めて初の世界一となった間柄である。新井さんはイチローがオリックスに在籍していた時代(1994~2001年)の打撃コーチで、王さんが監督だったころ(03~04年)のダイエー(現ソフトバンク)、球団会長になってから(07~08年)のソフトバンクでも打撃コーチをしていた。そんな長年の縁もあって、この年のシーズンオフ、新井さんは6度も打撃投手を買って出たという。

 この年、イチローは40歳になったばかりで、そろそろ限界ではないかとささやかれていたころだ。まだまだ現役生活を続けようと考えていたイチローは、王さんや新井さんに自分の状態を見極めてもらいたかったのではないか。そんなイチローのスイングを、当時61歳の打撃投手としてじっくりと観察した新井さんは、その感想を私にこう語った。

 「イチローのスイングの安定感は、いまなお抜群です。バットの出方、スイングの軌道が常に一定していて、まったく変わりません。もっと若い打者でもバットの出る位置がズレたり、スイングがブレたりするのがふつうなのに、あの年齢になってもいまだにそういうところがない。これは大変なことですよ」

 選手時代は南海(現ソフトバンク)、近鉄(現オリックス)での通算18年間で、2038安打を記録。自身も40歳まで現役を続けた新井さんの言うことだけに説得力があった。

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