70年間、世界的演奏家を輩出し続けてきた異色の音楽教室
東日本大震災による東京電力福島第一原発の事故直後から、Twitterを通じて放射能に関する情報を発信し、人々の不安を和らげてくれた東京大学教授・早野龍五さん。福島県の子どもたちの内部被爆の調査と経過観察を続ける一方、原子物理学の第一線の科学者として、勤務する東京大学やスイスのCERN(欧州原子核研究機構)での研究に忙しく、常に世界を飛び回っている。
2016年8月、早野さんは、音楽教育「スズキ・メソード」で知られる公益社団法人才能教育研究会の第5代会長に就任した。スズキ・メソードは、国内で最も歴史のあるヴァイオリンメーカー「鈴木ヴァイオリン」創業家に生まれた鈴木鎮一(しんいち、1898~1998)が、1946年に長野県松本市で設立した音楽教室である。
スズキ・メソードは、コダイ、ウォルフ、リトミックと並んで世界四大音楽メソッドの一つとも言われ、いまや世界46カ国で40万人の生徒が学んでいる。もっとも浸透しているのはアメリカで、30万人が学ぶ。発祥地の日本よりも世界で知られた音楽教育法といえるかもしれない。日本においては現在2万人弱の生徒が学んでおり、卒業生には桐朋学園学長を務めた江藤俊哉、里見弴の小説『荊棘の冠』のモデルになった諏訪根自子といったヴァイオリニストに始まり、パガニーニ国際コンクールやジュリアードコンチェルトコンクール、ロン=ティボー国際コンクールで上位賞を獲得する演奏家が数多いる。
実は早野さんも「スズキ・メソード」のヴァイオリン科卒業生であり、幼少時の音楽レッスンを通じて、科学者として必要な「非認知能力」――たとえば物事をやりぬく力や自制心―を身につけ、研究を続けるうえでの大きな力になったと発言して話題になっている。
情操を磨くだけではなく、人としての基礎力を身につけた音楽教室。いったい、どのようなレッスンを行っているのか。早野さんにお話を伺うと、70年前に打ち立てられたスズキ・メソード創設者・鈴木鎮一の教育哲学が、近年の幼児教育の研究結果を先取りしていたことがわかる。
音楽家ではなく人を育てる
編集部:原子物理学の研究者として知られる早野さんが音楽教室を展開する才能教育研究会の第5代会長になられたと聞き、意外に思っていたのですが、子供の頃にスズキ・メソードでヴァイオリンを習っていらしたのですね。
スズキ・メソードの創設者・鈴木鎮一さんの著書『愛に生きる』の中に、早野さんのことが登場します。1959年、ウィーン・アカデミー合唱団がスズキ・メソード発祥の地、長野の松本音楽院を訪れたとき、指揮者のダビッド教授が小学校1年生の早野さんに独奏を指名した。そうすると「バッハのコンチェルトを弾きます」と言って立派な演奏を行い、合唱団の人々を驚かせたと。その5年後には、6歳~14歳までの10人の生徒がアメリカ17都市に演奏旅行に出かけ、それまでヴァイオリンの勉強は8、9歳からでないとできないと考えられていたアメリカに、大きな衝撃を与えたそうですね。早野さんはこの全米演奏旅行「10(Ten)Children」にも参加していらっしゃいます。