編集部:早野さんは、「困難を乗り越える力も音楽教室で身につけた」ということを仰っていますが、運指や楽譜の記憶といったスキル面だけではなくて、教室でのレッスン継続が、人格の根の部分を作るということでしょうか。
早 野:たとえば難しい2小節がどうしても弾けないとしましょう。そうしたら、繰り返し繰り返しその2小節を弾きます。そうやって、自分ができるまで弾く。その厳しさを乗り越えられるかどうか。
スズキの研究科を出て卒業試験まで通った人の音楽的解釈や表現力は相当な高いレベルになることが実証されています。そうやってレッスンの中で困難を乗り越えてきた人なら、途中でスズキを辞めて音楽以外の道に進んでも無駄ではないでしょう。
僕の場合は中学生のときに、一生ヴァイオリンを弾くほど音楽が好きか、自分よりうまい人に比べて才能があるか、才能を磨くためにもっと訓練を厳しくできるか、といったことを深く考えました。そして僕は科学の道に行くことを決め、音楽を選ぶことはしなかった。でもそれは、相当に練習し、相当に弾いたから15歳で答えを出せたんです。
スズキでの厳しいレッスンと、自分に嘘をつかない練習を続けたからこそ、今の僕があると思っています。
組織の硬直をほぐしたい―100年目に向けて
編集部:鈴木先生が創設した頃とは、時代背景が大きく変化しています。早野さんは第5代の新会長として、どんな組織を目指していかれるのでしょうか。
早 野:僕は家元「鈴木鎮一」を襲名したわけじゃないし、ヴァイオリンからは半世紀離れていました。でも、会長になったからには、経営者として自分を育ててくれた会を良い方向に導きたい。
「才能教育研究会」は、元は「全国幼児教育同志会」という名称でした。「同志」という言葉からも分かるように、参加者がみなフラットな関係だった。それが70年経ち、会長や理事がいて、その下に会員がいるピラミッド型構造になっていってしまった。だから、まずはフラットな関係に構築し直したいですね。手始めに、全国支部にいる900人弱の講師と事務員に対して、サイボウズのアカウントを取るように指示しました。サイボウズはクローズドのSNSですから、サイボウズ上で対話ができるようになります。いまはTwitterと同じくらい呟いていますよ。
それから今年度中に全国のすべての教室・支部を訪れる予定を組みました。僕が話すというよりは、講師の皆さんの話を聞きたい。この手法は、福島で住民の方々とのダイアローグを続けるなかで学びました。
スズキは、保護者も一緒にレッスンを受けてもらうというスタイルを続けてきましたが、いまはお母さんが仕事をしていることも多くて、その方法は難しくなってきました。集合住宅に住んでいる人も増えてきて、思い切り音も出せません。つまり70年経って時代が変わり、スズキ・メソードが実行しにくい世の中になっています。だから、鈴木先生の教えを実行し続けるには、社会の変化にわれわれが対応しなくてはならないんです。変えてはいけないものと変えるべきものを見極め、組織改革を進めていきたいと思います。
編集部:時代が変化しても、音楽を通じて子供の人格形成に関わる基礎を育てたいという鈴木先生の思いがきちんと受け継がれているのですね。100周年を目指してがんばっていただきたいです。どうもありがとうございました。