10月8日付の英エコノミスト誌は、イラクにおけるIS敗退後のスンニ派の将来について論評しています。要旨は以下の通りです。
苦難の道
西欧列強はオスマン帝国から肥沃な三角地帯を奪い、現在のイスラエル、レバノン、シリア、イラク、ヨルダンに分割したが、ヨルダンを除きその他は全て非スンニ派の支配下にある。スンニ派はイスラム世界の中心部において未だ多数派ではあるが多くの地域において支配される側の地位に追いやられている。中東における国外、国内避難民2600万人の約85%はスンニである。
スンニの敗北が最も鮮明なのはイラクである。16世紀以来、スンニはイラクをイランの西方進出を阻む砦として頼りにしてきたが、2003年の米国による侵攻は既存の秩序を崩壊させ、多数派であるシーア派の支配を実現させた。
特にこの10年間はテロとの戦いの名の下にクルド、シーアの民兵によりスンニ派住民の迫害が強化され、イラクにおけるスンニ派住民700万の内250万が国内避難民となってクルド地域に避難、150万人が難民となってイラク国外に去っている。あるスンニの政治家は「アメリカはクルドを育て、イランはシーアを育てたが、我々はイラクの孤児である」と述べている。
これに対するスンニの反応は激烈なものであった。アルカイダからISに至る主義主張の下に、失った力を取り戻すべく戦い、クルドやシーアに奪われた領土を奪回するのに成功した。モスルは現代カリフ国家の中心になるはずであった。然し、ジハーディストによる苛烈な支配は、スンニ派住民が先ず最初の被害者であるとの非情な認識をもたらした。ISがモスルを失った後、全てを失ったスンニ派は何処にいくのであろうか?
一部はシーアやヤジディ系の報復を恐れてISへの支持に固執するかもしれない。ISは既にモスル陥落後の世界に備えて戦術の転換を企図している。より現実的なジハーディストはシリアの例に倣い穏健化の方向を取ろうとするかもしれない。しかし、幸いなことに大多数のスンニはジハードそのものの有効性に疑問を投げかけている。