『いわきより愛を込めて』

2016年12月9日

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山田清機 (やまだ・せいき)

ノンフィクションライター

1963年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に、『中国ビジネスは俺にまかせろ 上海の鉄人28号古林恒雄』『東京タクシードライバー』、『東京湾岸畸人伝』、『伝説の保育士 のりこ先生の魔法の言葉』などがある。

野次馬

 前回、「立ち位置」という言葉を使った。いわきを取材するに当たって、自分の立ち位置はいったいどこにあるのかと自問してみると、自分が福島第一原発の事故に対して寄せる思いには、先の戦争に対する思いやら、中学3年で志願兵として従軍した父の戦争観に対する反感やら、(いわきとは無縁な)さまざまな思いが上乗せされているような気がしてきたのである。

 そうした、いわきとは直接的には無関係な思いを抱えて、福島へ、いわきへ、そして福島第一原発へアプローチしようとする人間のことを、私自身も含めてどう表現すればいいのだろうかと考えてあぐねていて、ある文章に行き当たった。
少し長いが、引用してみる。

人というのは、おもしろい生き物で、野次馬というやつをこころの中に飼っています。

野次馬は、当たり前のことや、わかりやすいことを好みません。いろんな視点が出てくることをよろこびます。その見方が強く感情に訴えるものだったり、強い興味をひくようなものだったりしたら、おおいに心を騒がせます。視点どうしが対立して激しい応酬があったりしたら、格闘技をみるようにそのスリルをたのしんだりもします。そして、こころの奥にある「たのしんでいる」ということを隠したままで、無垢な善意の人として心配そうに顔を曇らせたりもします。

 「たのしんでいる」ということを隠したままで……心配そうに顔を曇らせたりします。というあたり、実に辛辣に野次馬根性の本質を言い当てていると思うのだが、この文章を書いたのはコピーライターの糸井重里氏である。まさに、福島第一原発事故への「姿勢」について論じた、『知ろうとすること。』(新潮文庫所収)の中に出てくる文章だ。

 私はこの文章に出会って、正直なところ、ああ自分はまさに「野次馬」なのだと思った。しかも、ただの野次馬ではない。ずいぶん遅くなってから現場にかけつけた“遅れてきた野次馬”だ。

 だが、自分は野次馬であると認める一方で、野次馬だから何も言うなと言われると、それはどうかと思う。たしかに野次馬には事件や事故を「たのしんでいる」ところがあるだろう。私の中にも、たぶんそれはある。しかし、「野次馬は黙れ」と言われると、柄杓で冷や水を浴びせられたような気持になってしまうのだ。

 現地の人の声を聞き続けていくうちに、やがて自分自身の正体がはっきりしてくるのかもしれないが、少なくともそれが自覚できるようになるまで、私はこの取材をやめない。

テレビかマンガのような

福島第一原発で働く作業員(GettyImages)

 さて、今回登場していただくMさんは、富岡町に暮らしていた元原発作業員である。こう書いただけで、勘のいい読者はお気づきになったと思うが、Mさんは原発事故の被害者であると同時に、事故を起こした東京電力の“身内”でもあった。被害者と加害者という、ふたつの立ち位置を持つ人物なのである。

 Mさんは現在、72歳。昭和45年から定年退職するまで福島第一原発一筋に働いてきた。所属していたのは東電の下請け企業のひとつである。

 原発の下請けは多層構造になっているとよく言われるが、Mさんによるとそれは本当の話らしい。Mさんのいた会社は、東電→大手商社→大手電器メーカー→大手電器メーカー系列のプラント会社という連なりの、さらにひとつ下に位置していたという。

 なぜ東電の1次請けが商社なのか、なぜ2次請け、3次請けと連続して同じ電器メーカー系列の会社が2社入っているのかよく理解できないが、これは実際に現場で働いていたMさんにもよくわからないことだという。

 「商社の事務所なんて、女性がふたり常駐してるぐらいで、実質的な作業はなんにもしねぇんだよ。その下の電器メーカーもほとんど何もしない。もうひとつ下のプラント会社になってやっと少し、現場の仕事をやるぐらいかな」

 これも原発事故が起きた後によく聞いた話だが、原発構内の線量の高い場所では、作業時間が厳密に管理されている。何人もの作業員が交替しながらたった1本のボルトを締めるような仕事が、実際にあるそうだ。

 「原子炉の冷却水を循環させるポンプを分解して整備する仕事なんかになると、ネジを1回まわすだけで2レントゲン(約20ミリシーベルト)ぐらい被ばくしてしまうわけ。だからネジを1回したら、その日の仕事は終わりだよね。

 昔は、朝礼の時間に現場に入って、1時間ミーティングやって、現場に入って2時間仕事して、昼には上がりなんて仕事がよくあったね。最近は、線量のある現場で半日仕事したら、残りは線量のない現場で働いて、トータルで8時間労働ってことが多かったけれど、昔はだいたい1日3時間労働だったもんな」

 1日平均3時間労働で、しかも相当にいい給料が貰えるのであれば、地元の人にとって原発はいい仕事場だったに違いない。実際、Mさんも彼の妻も、東京電力のことを「マルトウさん(○東、の意味か)」と親しみを込めて呼ぶ。東電が事故を起こしたことへの憤りがないどころか、昔の仕事仲間で東電の悪口を言う人間がいると、むしろたしなめるという。

 「もともと富岡は農業の町で、原発がないときはみんな出稼ぎしてたんだ。だから、俺もそうだけど東電にお世話になった人は、東電の悪口なんて言わないよ。東電から給料貰って、子供育てて、家建ててさ、たぶん富岡の人の80%は東電のお世話になってるんじゃないの。だから、東電が事故起こしたって鬼の首取ったみたいに悪く言う奴がいると、みんな『おめー、どうなってんだ?』って言うんだよ」

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