あの負けがあってこそ

2017年2月9日

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 寡黙でストイック。一人でもくもくと練習に取り組んでいる印象が強い選手だ。タックルが武器だと本人は語り、ディフェンスを抜き去るスピードが魅力だと筆者は思う。インタビューの間、なかなか視線を合わせることができずにいた。会話もかみ合ったとは言えない。ただ、陰翳に富んだ表情の中に深く秘めた決意が伝わってきた。

 今回は女子ラグビー日本代表(2016年)の平野恵里子をご紹介したい。

平野恵里子さん(太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ東京大会。撮影:筆者)

夢を決意に変えて

 高校の卒業式を終え10日ほどが経過していた。4月になれば念願の日本体育大学生である。その日はたまたま時間が空いていたという理由で、土木関係の父に誘われ、アルバイトとして山に入っていた。肉体労働に抵抗はなかった。

 平野がベルトコンベアーで流れてくる土を処理する作業を行っていたときである。

 「突然見えている景色が大きく揺れて、こんなに揺れるなんてただ事ではないと感じました。すぐに仕事を解散して山を下りて行ったのですが、私の住んでいた大槌町は波がきた後でしたし、大きな火災もあって大変なことになっていました。自宅に戻ってみると1階部分が流されていて全壊の状態でした」

 2011年3月11日14時46分、牡鹿半島(宮城県石巻市)の東南東約130kmの三陸沖深さ約24kmの地点を震源とするマグニチュード(M)9.0の地震が発生した。最も激しい揺れを記録した宮城県栗原市で震度7、宮城県、福島県、茨城県、栃木県で震度6強の揺れが観測された。(文部科学省のHPより一部引用)これは日本国内観測史上最大規模であり、世界でも4番目の規模の地震として記録されている。

 平野は岩手県大槌町の生まれで両親と姉と兄の5人家族で近所に祖母が暮らしていた。

 その日、家族はそれぞれ仕事に出ていた。

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