WEDGE REPORT

2017年6月11日

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中西 享 (なかにし・とおる)

経済ジャーナリスト

1948年岡山県生まれ。1972年共同通信社に入社、経済分野を取材し編集委員などを経て2010年に退職し、現在は経済ジャーナリスト。

 「アフリカの角」と呼ばれるアフリカ大陸の東に突き出た半島に位置するソマリア。内戦が続き、過激派組織も加わって世界で最悪の紛争地に単身乗り込み、「若者である自分だからこそできることがあるはずだ」として、日本とアフリカで若い仲間を集めながら、過激派やギャング組織から脱退したソマリアの若者の社会復帰プロジェクトにかかわり、そのリーダーとして支援活動を続ける永井陽右さん。4月に国際的な紛争、テロ問題の解決を手助けするためのNPO法人「アクセプト・インターナショナル」という支援のための法人を立ち上げたのを機に、その狙いについてインタビューした。

内戦の弾痕が生々しく残るソマリアの首都モガディシュ

Q アフリカに関心を持つようになったきっかけは

A 大学1年生だった2011年の8月に、高校時代の教科書で習ったルワンダのジェノサイドを知りたい、何かをしたいと思い、1994年に大量虐殺があったルワンダを訪れ、ジェノサイド記念館を見た。非人道的な暴力を振るった加害者に対する強烈な怒りを覚えた。それで、加害者の暴力を食い止め、いま危機が迫っている人を救いたいと心が動いた。

 その後、ルワンダは経済発展して安定したが、ソマリアがひどい状況にあるのを知り、外務省の渡航安全情報を調べたら、退避勧告が出ており、渡航は延期の指示が出ていた。NGOも調べてみたが、危険すぎることから活動しているところはなかった。しかし、ソマリアには多くの人が想像できないような「痛み」を抱えていることから何とかしたいという思いが募った。ちょうどそのころ、「早大にソマリアの遺児2人が合格」のニュースを知り、その2人の留学生の紛争孤児を待ち伏せして捕まえ、必死に口説いて活動が始まった。彼らの仲間がナイロビでソーシャルワーカー的な活動をしていたので、その人々とつないでもらった。そこから色々と始まり、ほかの学生も巻き込んで2011年9月に「日本ソマリア青年機構」を設立した。

Q ロンドンの大学では紛争解決についてどんなことを学んだのか

A 和平交渉ができないテロ組織を相手にする場合、カウンターテロリズム的な発想が必要となり、そのためにはテロ組織のインセンティブを変えるために戦力を削ぐ必要がある。我々の組織は武力で対抗することはできないが、武力的に削ぐ以外に人権的なアプローチがあり、これが①加入させないことでテロ組織の数を抑える、②テロ組織に加入してしまった人の脱退を促進し数を削ぐーの方法がある。この2点を実行するNGOがアクセプト・インターナショナルだ。

Q ソマリアは現在、どのような状況なのか

A 内戦が続いて、アルシャバブというイスラム過激派組織がまだまだ各地を支配している。2016年は4000人以上の死傷者が出ている。彼らが暗躍していて、護衛なしに外には出られない。空港に到着すると、武装したアフリカ連合ソマリアミッション(AMISOM)や国連の関係者に迎えに来てもらい、武装エスコートとともに所定の場所に行く。アルシャバブによるとみられるテロや襲撃事件は日常茶飯事で自爆テロも目撃したことがある。政府側もアルシャバブ側も、何かあるとすぐに機関銃を撃つので危ない。このため、空港に着いてから2~3週間のソマリア滞在中は命の危険性が伴うため、ものすごい緊張状態になる。2011年に大飢饉が起こり、その後も内戦、紛争が収まらず混乱した状態が続いており、国連はこの紛争のありさまを「比類なき人類の悲劇」だと表現しているほど。

Q 国全体が混乱している状態で、そのような若者たちを本当に更生させることができるのか。混乱を極めている国に日本人の若者が1人で行って何ができるのか疑問に思わないか。

A ソマリア紛争はただの学生が立ち向かえるような問題でないことは誰が見ても明らかだが、力がないからという理由で諦めることだけはしたくなかった。現地では警察が強引な形でギャングの駆逐策戦を展開している。その中で「いま、若者である自分に何ができるか」を問い続けた結果、武力を持たない無力な若者の僕らだからこそできるやり方にたどり着いた。いま紛争を起こしている武装勢力の大人たちではなく、そこに向かうかもしれないギャングたちをターゲットにした社会復帰ブロジェクト。誰も彼らにアクセスできない中、日本人学生である僕らだけができた。「遠い日本からよくぞこんなところまで、来てくれた。その心意気は素晴らしい」とギャングを含め現地の誰からも言われた。

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