2024年12月22日(日)

『いわきより愛を込めて』

2017年10月23日

 いわき市内のファミリーレストランで待つこと5分。柔和な顔つきの中年男性が店内に入ってきた。

日本の原風景が残る上遠野

 仮にAさんとしておくが、Aさんは新卒で東京のIT関係の企業に就職したものの、夜も昼もない生活に嫌気がさして1年余りで退職した経歴の持ち主である。現在はいわき市内で働きながら、両親と妻と次男と自分の合計5人で1町5反の農地を耕作している。1町5反はいわきの中山間部の農地としては大きな方に属する。主な作目は米だ。

 「実を言うと、米が一番手がかからないんですよ。秋の稲刈りの時はメンバーが7人いる農事法人で30ヘクタールを刈り取るんですが、高齢化が進んでいるのに仕事量は昔と変わらないのできついですよ」

 Aさんは福島第1原発が事故を起こした後、ある行動を起こしている。それは役所の指示によるものではなく、自らの判断で行ったことだという。

 「畑で作っていた麦と玉ねぎを全部引き抜いて、裏の山に捨てたんです。麦は6月ぐらいが収穫時期なんだけど、まだ青いうちに全部抜きました。玉ねぎも5月6月が収穫時期だけど、全部抜いた。なんでって……放射能を測定して数値が高かったからやったわけじゃなくて、放射能が飛散してるっていうし、まだ高校生の子供がいたから自分なりの対処をしたんですよ」

 どんな気持ちだったのだろうか。

 「東電に行って引き抜いた分の被害申請したんだけど、あなたが自分の(勝手な)思い込みでやったことだから補償しないと言うんです。ごせやけたねぇ。なんでこんなふうになっちゃったのかなぁ、これから大丈夫なのかなぁって思いました」

 「ごせやけた」というのは「怒り心頭に発した」という意味だそうだ。

 震災の年、Aさんの田んぼでは米ともち米を合わせて約100俵の収穫があり、前年比で約80%に当たる顧客が買い取ってくれたという。自主的に検査場に送って放射線物質の有無を調べてもらい、検査場が発行する証明書のコピーを貼り付けて顧客に発送した。農協でも検査をやっていたが、検査会社に委託する分スピードが遅かった。

 「私のところは友人や親戚を中心に個人売買をしていて、私を信用して買ってもらっていたので、それほど大きな影響はありませんでした。でも、個人じゃなくて業者に出している分は半値まで下がりました(農協の買い取り価格が基準になっているため、農協の買取価格が下がると業者の買い取り価格も連動して下がる)。もっとも、良心的な業者なので、彼らが受け取った補償金で下落前との差額を補填してくれたからそれほど大きな損失はありませんでした。ただ、価格的には、農協や業者に卸している分はいまでも下落したままですね」

 つまり、いくら全量検査を継続していても風評被害は収束していないということだろう。Aさんのような兼業農家は風評被害についてどう考えているのだろうか。

 「本当は、検査していない他県の米よりも安全なんだけどね……」

 原発についてはどうか。

 「事故が起きたときは、正直言って、原発ってこんなに近くにあったんなって思いました。いわきは、距離的には飯館村と同じぐらいのところにあるわけだから、風向きひとつで住めなくなっていたかもしれません。当時は、こんなに自然が豊かなのに、自然の恵みを使えなくなるのかなと思いました。実際、いまでも山菜は出荷禁止だしね。次男が農業やる気になっているんで昔に戻してほしいって思うけど、風評は『時間』でしょう。複雑な気持ちですよ」

 Aさんは、作物を引き抜いた時のような恐怖も怒りも、最近はあまり感じなくなったとう。これも「時間」のなせる業だろうか。

 「いまはあまり放射能のこと自体を考えなくなりました。考えない方が楽だと思うようになったね」

 元々の性格もあるのだろうが、Aさんが原発や風評被害について怒りをあらわにすることはなかった。「複雑な気持ち」というのが、地元で生きる人の、故郷を持っている人の本音なのかもしれない。容易に故郷を捨てられない人は、過酷な現実を突きつけられても、なんとか折り合いをつけて生きていかなければならない。

 翻って、私のようにいつでも転居できる故郷喪失者は、原発事故の影響と折り合わなくてはならないという現実の重さが、実感として理解できない。だからこそ純粋に、そして辛辣に、原発事故を再稼働を非難できるのかもしれない。そうした姿勢が地元の人々にとってどう映るかは、正直なところよくわからない。

 Aさんの言葉には、理屈ではなくて、いわば身体があった。歯切れは悪いが、嘘もなかったと思う。

 明日はいよいよ「日本の原風景」を見に行く。猪狩さんとは上遠野で落ち合うことにして、湯本の「古滝屋」という旅館へ向かう。古滝屋の主人の里見喜生さんは、自ら被災地を巡るスタディーツアーを実施してきた人物だ。ツアーの参加者は昨年の段階ですでに3000人を超えたという。お話を伺いたかったが、残念ながらこの日は不在だった。


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